「中部四十九薬師霊場巡礼写真集(1/55」-第32番札所:「寿門山 広福寺」(岐阜県土岐市) | 多幸の湯番台のブログ

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「みちのく一人旅」(2017年東北地方を中心に東日本一周ぶらり旅)第1日目(その4)

「中部四十九薬師霊場巡礼日記」

「中部四十九薬師霊場巡礼写真集(1/55」-第32番札所:「寿門山 広福寺」(岐阜県土岐市)

撮影日時:平成29年4月30日(日)。 場所:岐阜県土岐市土岐津町土岐口974-1。土岐市内の自宅を出発して、先ず向かったのは同じ土岐市内の土岐津町土岐口地区にある中部四十九薬師霊場32番札所「寿門山 広福寺」。我が家とはお隣の町にあり、我が家の旦那寺でもあるので何度もお参りしている。ここを発願寺としてこれから巡礼を始める。丁度ご住職と息子さんがお見えになり、本堂へ招じ入れてもらい読経をする。寺院本尊は十一面観音菩薩で、霊場本尊の薬師如来は岐阜県の東濃三薬師の一つと言われ、秘仏。7年ごとに御開帳法要が行われるそうだ。(写真の右下の「+」の上でクリックして下さい。拡大されます。)

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①道路から仰ぎ見る鐘楼門。

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②鐘楼門の写真4枚(合成写真)。①鐘楼門の全景写真。②風格のある鬼瓦。③山号の「寿門山」の扁額。④門内の龍の彫刻。

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③手水鉢。

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④鐘楼門から見る本堂(上)と本堂前から振り返り見る鐘楼門の裏側(下)。(合成写真)。

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⑤本堂内の写真4枚(合成写真)。①本堂の内陣。②寺院ご本尊は十一面観音なので「大悲殿」の扁額が掲げられている。③読経する場所。④仏教用語の説明書。
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⑥境内の寸景写真3枚(合成写真)。①布袋様。②水かけ地蔵。③境内にある天を衝くイチョウの大木。

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⑦庫裏の玄関に掛けられている「真禅」の額。

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⑧地蔵堂と中に祀られている「延命地蔵大菩薩」。

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⑨32番「広福寺」の御朱印と御詠歌。

中部四十九薬師霊場第32番札所「寿門山 広福寺」(じゅもんざん こうふくじ)」。 【宗派】臨済宗妙心寺派。 【寺院本尊】十一面観世音菩薩。【霊場本尊】薬師如来。 【寺院本尊真言】オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ。【霊場本尊真言】おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 【寺院縁起】当寺は、妻木の領地にして寛永二年(1625)三河の国加茂郡挙母村出身の雲外霞公首座が有志を募り一寺を開基しようと妻木村崇禅寺中興開山清厳和尚に請願する。清厳和尚は、その請願を領主源頼利へ訴えて許され小刹を建立し、禄高七石二斗を付与される。寛永十三年(1636)崇禅寺第二世龍和尚が住職し、衆庶が檀徒となったので開山となられる。十七年後妻木権左エ門頼利が没せられたので法号を広徳院殿即心安休大居士として開基とする。 萬治二年(1659)妻木城減禄の為寺領を還納して無禄となる。当寺は始め慈門山広徳寺と言っていたが、山間僻地で信徒参拝に不便のため、辛沢へ移転した。(当山中興物現和尚の時代で元禄年間かと思われる)明治二十四年岐阜県庁の許可を得て同地にあった○寿陽山保○福院を、慈○門山○広徳寺に合併し両寺の○印の字を合わせて新しい山号及び寺号を決定し同年八月一日に寿門山広福寺となる。 明治三十四年一月四日夕、本堂と庫裡(共に旧広徳寺の建物)を全焼した。当地は年々水害を被り且つ頗る偏遇で信徒の参拝・布教に不便を感じていたので、当時薬師堂のあつた現在地(上田)移転を決め、薬師堂を境内仏堂として合併することを出願し大正七年四月二四日岐阜県庁の許可を得て大正九年六月七日移転合併した。交通:JR中央西線土岐市駅よりタクシーで5分。(中部四十九薬師霊場会公式HPより引用)