「西遊記Ⅳ写真集」(2009年東海・北陸ぶらり旅日記)第18日目(その3) | 多幸の湯番台のブログ

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「西遊記Ⅳ写真集」(2009年東海・北陸ぶらり旅日記)第18日目(その3)

「北陸観音霊場」巡礼写真集「7番三方石観世音」(福井県若狭町)

撮影日時:平成21年4月24日 場所:福井県三方上中郡若狭町三方。 記事:北陸三十三観音霊場第7番札所:大悲山 石観世音(だいひざん いしかんぜおん)。 鯖街道の若狭熊川宿を散策した後は県道22号線と国道162号線で旧三方町(現在は旧上中町と合併して若狭町になっている)へ向う。国道27号線で旧三方町へ出た方が早いのだが、若狭の海や三方五湖の景観を楽しみたい為に遠回りをした。その結果が昨日の記事にした脱輪事故を起こす羽目になったが、親切な若者達のヘルプで事なきを得、予定通り三方五湖を周回して三方町の山の手にある7番札所の石観世音に到着。この寺は奥の院まで入れたら広大な寺域を所有しているが、住職は定住せず、町の世話役が交代でご朱印を出したり、維持管理に務めているとの事であった。ご本尊は大きな花崗岩を彫り込んだ片手の石観音で前立ちの木造聖観世音菩薩像はしっかりした造りだった。本堂内には金田正一や有馬稲子などの有名人の献灯が数多く吊るされていた。また、手足の不自由な人の参詣が多く、全快者が奉納した松葉杖やギブスなどがお手足堂にぎっしり詰まっていた。(写真の上でクリックして下さい、拡大されます)

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①観音川の清流に沿った静かな参道の入口に立つ「大悲山 石観世音」の石碑。

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②境内下から振り仰ぎ見る鐘楼。

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③石観世音の本堂の写真3枚。①正面から見た本堂。②本堂の内陣、御本尊は弘法大師によって大きな花崗岩に刻まれた石観世音菩薩。写真の前立ちは木造聖観世音菩薩。③本堂内には信者から寄進された提灯が所狭しと吊り下げられている。その中には尾上松緑・有馬稲子・金田正一などの名も見られた。(合成写真)

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④御手足堂の写真2枚。お堂の全景(上)と奉納された松葉杖・ギブスなど(下)。昔からこの観音様には手足の不自由な人々の信仰が厚く、御手足堂には観世音菩薩の功徳に感謝して御手足型や松葉杖、ギブス等が山のように奉納されている。(合成写真)

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⑤手水舎。

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⑥参道脇の写真3枚。①苔むして趣のある石灯籠。②水豊かな境内にはあちこちに小さな滝が散見された。③参道脇を流れる観音川の清流。(合成写真)

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⑦参道沿いの写真4枚。①「せき止め地蔵尊」 ②本尊彫刻の際に朝を告げたという鶏を型取った鶏鳴石(妙法石〕 ③中興の「春山隣道大和尚」石像。④参道脇の石灯籠。(合成写真)

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⑧境内で見かけた仏像3体。大石に彫り込まれた観音像(左)と弘法大師像(中)。修行大師像(右)。(合成写真)

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⑨水の豊かな境内には噴水などをあしらった小池があちこちに・・・。

石観世音:曹洞宗。本尊:石観世音菩薩。御本尊は一大花崗岩に刻まれたる石観世音菩薩にて南面せらる。弘法大師一夜の御作にして桓武天皇延暦年間の草創なりと言えば、大師入唐以前の作なりべし。大師若狭の地に遍歴せらるゝや此地の風光明媚なるを愛でられ、此山に宿らるる。或夜霊像御彫刻中、妙法石上鶏鳴聞えたれば、僅に右手首より先を残して飄然下山せらる。故に片手観音なり。されば手足のさわりは元より、諸病に御霊験灼にして不可思議なる事実又多し。宣なるかな。各地より参詣者常に踵を絶たず、当山の諸建築什物等一として信者の寄付ならざるは無し。(若狭町観光情報公式HPより引用)