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相棒たち 五十選

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小学生の時分、親友だったU君が「七つ道具」と革製の黒いポーチを誇らしげに見せてくれた。そこにはラジオやナイフ、コンパス、パチンコなどちょっとした道具達が入っていた。どこでどう使うつもりだったのか定かではないが、彼にとってはサバイバルキットであったにちがいない。「七つ道具」という秘密部隊が使うが如き特別感、そして、これさえあれば危機に陥っても生き延びることができる万能感、直観的に感じる男臭さ、が入り交じり、この「七つ道具」という言葉は独特の響きを持っていた。

 

道具。それはサルと人間を隔て、文明を発展させてきた重要な要素の一つ。そして、元々は生きていくために欠くべからざる身体の延長、いや、一部。現代に生きる我々においても、道具の価値は「生きて行くため」という大きな目的を逸脱していない。ただ、それが、生死を分かつ程の重要度を持っていないだけだ。発展した目的として「所有の喜び」というものが加わったようにも見える。使わないのに所有しているだけで満足を得る。それを含めて、道具なしには生きられない。そして、道具との関わり方には生き方が表れる。

 

我が相棒なる道具達を並べてみると、どれも特別なものはない。みんなが普通に持っているものばかり。しかしみんなが持っているのにはそれなりの理由がある。「ご多分に漏れず私も」である。

 

何を何故相棒として選ぶのか、そこには自分自身が現れる。道具を見ると自分が見える。だから、五十歳を前にした今、ここらでちょっと振替ってみようかと思う。相棒達への讃歌とともに、それらを通して自分を振り返るためにも。「七つ」ではなく「五十」を選んだ。

 

ここから、どのような自分が見えてくるだろうか。