小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 - -358ページ目

ご神託あり - 「日本いにしえの旅」エピソード

 偶然というか不思議というか、そういう運命を感じる体験は誰にもあるはずです。先々週の日曜、家族で小田原へ遊びに出掛けた時の話。ちょうど「日本いにしえの旅」 鎌倉編の構成を練っていた頃です。


 夕暮れも間近、そろそろ帰ろうかと東京方面へ車を走らせていると、ふと見覚えのある地名が刻まれた石碑が私の視界に入ってきました。私は思わず車を止めて写真を撮りました。


石橋山古戦場


 石橋山古戦場跡の石碑です。


 ──時は平氏政権全盛の平安末期、以仁王の令旨を掲げて平家打倒の旗を挙げた河内源氏の棟梁・源頼朝。まずは首尾よく伊豆国目代・山木兼隆を討ち取るも、その後、平家方の大庭景親らが頼朝軍の十倍以上の戦力で反撃を開始、この石橋山にて壮絶な合戦を繰り広げたのです。


佐奈田与一義忠と俣野五郎景久


 そこで激戦を繰り広げたるは、頼朝が家臣・佐奈田与一義忠と平家方の俣野五郎景久。詳しくは「平家物語」や「源平盛衰記」に明らかですが、組んず解れつ闇夜の乱戦を制して景久をねじ伏せた与一、しかし背後から迫った長尾新五・新六兄弟によって首を掻き切られて討死してしまいます。


 その場所がこちら、石橋山古戦場跡の石碑から数分のところにある佐奈田与一義忠討死の地です。


佐奈田与一義忠討死の地


 ここは与一が討死した場所であり、乱戦のなか景久をねじ伏せた場所として伝わります。ねじ伏せた場所なので“ねじり畑”というのか分かりませんが、戦の後、この畑で採れる作物は皆ねじれてしまったそうです。


 そしてこの討死の地のすぐ近くに、与一塚と呼ばれる塚があります。その名の通り、与一の遺骸を葬ったと言われる塚です。


与一塚


 私は何とも言えぬ気持ちになり、この塚の前で手を合わせました。そしてふと周囲を見回すと、そこが神社らしき建物の境内だと知ることになるのです。与一を祀る佐奈田霊社 です。


佐奈田霊社


 後から知ったのですが、与一が景久と組み合っていた折、味方に助けを呼ぼうとしたが喉に痰が絡んで声が出ず、そうこうしているうちに討ち取られてしまったということです。


 その伝承もあってか、与一の霊魂を宿す佐奈田霊社の御利益は、喉・咳・気管支炎・喘息に霊験ありと言われ、喉を患う参拝者が今なお絶えないそうです。


 実は私、まさに最近喉を痛めてしまい声嗄れに悩んでおり、その御利益を知った時には非常に驚きました。更には偶然にも今回描く「日本いにしえの旅」鎌倉編の主要人物は、与一の仕えた源頼朝。・・・


 こうして頼朝が挙兵して最初に平氏の大軍と一戦を交えた場所に偶然にも辿り着き、まさかこのような旧跡に詣でることが出来るとは、これこそ運命。残念ながら今回は与一も佐奈田霊社も石橋山古戦場跡も番組には登場しませんが、こういうことを踏まえて番組が成り立っていくということを、私は皆さんにお知らせしたかったわけです。


 まぁ自意識過剰かもしれませんが、小野寺よ、喉を治してしっかり描けよと、頼朝と与一が自分に言っているような気がしてなりません。