健太は隅のカウンターに座った。
「久しぶりだね。あれ、なんか顔がやつれてるねぇ」
「やっぱし、そう見える?」

「うん。だめだよ、一番幸せな人が」
「そんな気分だったら、ひとりでここには来ないよ」
「なんかあったの?」
「それに関してはあまり喋りたくないんだ。詮索はいいからさ、ローゼスを一本入れてよ」
 それからマスターは、健太にあまり喋りかけてこなくなった。健太の心を察したのかもしれない。


健太はローゼスをロックのダブルで飲んだ。いつもはこんな飲み方はしない。
〝ヒロシと圭子が・・・結婚。淳之介と純子も結婚だし、残されたのは俺ひとりか・・・なんか、ものすごくひとりだなぁって感じがする〟
 健太は早いピッチでローゼスをあおった。
「健ちゃん。ちょっとペースが早いよ。強いのはわかってるけど、それじゃちょっと・・・」
 マスターが心配した様子で言った。
「マスター。今夜はほっといてくれ。今は酔っぱらいたい気分なんだ」
 健太の言葉に、マスターは少し驚いた様子だった。
〝こりゃ、荒れてるな。いつもの健ちゃんじゃないな〟


 それからというもの、健太は自己嫌悪と孤独感に襲われながら、一気にボトル半分をあけた。
ライブが始まっても、健太は虚ろな目でステージを見ていた。酔いが体中にまわっていた。
〝沙也夏は今頃どうしてるんだろう。俺のようには落ち込んでないだろうな。彼女は芯が強いし、生まれ変わるとも言ってたっけ。男よりも女のほうが現実的だし。彼女は好きでもない男とひとつ屋根の下で暮らして、やり通すだろう。それにひきかえ、この俺は。酒でごまかすしかないなんて情けねぇ〟
 情けないと思いながらも、バーボンを飲んだ。


 健太は歌うことが自分を救うことを忘れていた。それほど、健太は打ちのめされていた。沙也夏と別れたことに加えて、ヒロシと圭子が結婚するということがショックを与えていた。ふたりが結婚することに、どうこう言うつもりはなかった。ただ、自分だけがひとりなんだという疎外感が、健太にどうしようもない淋しさを感じさせるのだった。

〝淳之介でーす。留守のようですので、またかけます。あ、それからビッグ・ニュース!圭子さんがヒロシさんと結婚するかもしれないらしいっす。これは奴から聞いた情報です。いやぁ、これでうちのバンドはめでたいことだらけっすね。今度、沙也ちゃんも交えてみんなでお祝いをやりましょう。では・・・また!〟
 健太には聞きたくないメッセージだった。
〝圭子とヒロシが・・・。そうか。これじゃ、俺はピエロだな。いい笑いものだ〟
 健太はますます気分が落ち込んで、アパートのドアを開けた。


 夜に外へ出るのは、三日ぶりだ。日毎に寒さが増してるようで、健太はダウン・ジャケットの衿をたてた。
足は、駅裏の路地のひなびた居酒屋へ向いていた。
 そこは、淳之介と初めて逢った時に入った店で、老人が経営していた。あそこならあまり知られてないし、客も多くないだろうと思った。それに、駅裏の路地というのは、少々分かりづらい。とにかく、にぎやかな店には行きたくなかった。
そして、その店で健太は魚料理を食べた。久しぶりに食べた感じがしたので、うまかった。焼酎もお湯割りで二杯ほど飲んだ。
客は二人しかおらず、老人もあまり話しかけなかったので、ゆっくりとできた。


 腹もいっぱいになり、ほろ酔い気分で店を出た。
〝さて。どうするかな。どうせアパートへ帰っても、また落ち込むだろうしな。あ、ひょっとしたら純子たちが来てるかもな〟
 健太は思案して、結局〝ロコ〟へ行くことにした。
クリスマスも終わったので、〝ロコ〟も今は一番ひまな時期だろうと思ったからだ。
 健太にしてはめずらしく、タクシーを拾った。
天神の西通りで降りると、予想していたよりも人通りは少ないようだった。もう、会社の忘年会シーズンも終わったし、今はそれぞれ年末の準備で忙しいのかもしれなかった。
健太はこんなフラフラした気分でいるのは俺ぐらいかなと、苦笑いした。


 〝ロコ〟のドアを開けると、予想どおり、客は常連が二組いるだ
けだった。ライブも終わったようで、ちょうど空時間のようだ。
「いらっしゃい」
 いつものマスターの笑顔が健太を迎えた。

だが、健太はそのランディ・マイズナーが目に入ったのではなくて、タイトルに思わず目が止まったのだ。
〝ワン・モア・ソング・・・もう一曲だけ〟
 健太は心の中で呟いた。
〝沙也夏が言ってたな。俺と逢う時間というのは、ひとつの曲のようだった。その曲をリクエストし続けたって。まさにこのワン・モア・ソングはそんな感じの曲だ〟
健太はアルバムのジャケットをじっと見ながら、そう思った。 

そして、CDをプレイヤーにセットした。

 低いピアノの短いイントロで始まって、ランディの少しハスキーな声が響く。
健太はただ、じっと聞いていた。聞いてるうちに、また感情が昂ぶってきた。健太はもう、ただ感情のままに聞いていた。涙がこみあげてきて、ひとつぶ流れた。やがて、それはとめどない涙に変わっていった。
泣くまいと思うほど、涙が溢れた。だが、畳にこぶしを叩きつけることはなかった。ただ、泣いていた。
〝ワン・モア・ソング〟には泣かせるだけの説得力があった。
 まさに、ホテルでの別れの場面を思いださせるのに、これほどの詞はなかった。
健太は〝ワン・モア・ソング〟を繰り返し繰り返し聞いた。他の曲は一切聞かなかった。


 やがて泣くのに疲れ、涙も枯れはてた頃に、やっと聞くのをやめた。部屋の中はすっかり暗くなっていた。時刻は七時になろうとしていた。空腹感を感じた。
〝もう夜か。腹が減るはずた。今日ぐらいは栄養あるものを食わないといけないな〟
 健太はのろのろと立ち上がり、服を着替えた。ロイヤル・ブルーのトレーナーとリーバイスのブルー・ジーンズにダウン・ジャケットを羽織った。

 アパートから出ようとすると、電話が鳴った。取ろうかと思ったが、やっぱりやめた。切れるのを待っていたら、留守電にメツセージが入った。