圭子はだんだんと、健太の態度に腹がたってきたようだ。
「〝レイラ〟を歌ったけど、〝ワンダフル・トゥナイト〟にはならなかった。それで今は、〝オールド・ラブ〟の気分なのさ」
健太はクラプトンの曲のタイトルを借りて、今の自分の気持を言った。自分でも考えてなかった言葉がすらすらでてきたことに、驚いていた。
「そうだったの。沙也夏さんとうまくいかなかったのね」
「それだけでよくわかるな」
「〝レイラ〟は求愛の歌で、〝ワンダフル・トゥナイト〟は恋人と結ばれた幸せを歌ってる歌だわ。そして、〝オールド・ラブ〟は終わった愛を忘れられず、苦しんでる歌。私にはそれだけで充分よ」
「どうしてうまくいかないのか・・・どうやら、俺には女運がないらしい」
「それは違うと思う。健太は女心がわかってないのよ」
「きついこと言うんだな。でも、そうかもしれん」
 圭子は健太の言葉を聞くと、これだけは言うまいとしたことを話そうと思った。
「私が、どんな気持で沙也夏さんとのことを見てたと思う?どんな気持で週に何回もアパートに料理を作りに来てたと思う?どんな気持でヒロシのプロポーズを聞いてたと・・・」
 圭子は言葉を最後まで言えなかった。
健太は圭子の顔がまともに見れなかった。思いもよらなかった言葉が耳にはいってきた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私は健太のバックでピアノ弾いてる時が、一番楽しかった。私はバンドの一員でもあり、健太のファンでもあったの。それが、いつしか恋心に変わっていった」
 健太はただ、じっと目を閉じて聞いていた。
〝大バカ野郎だ。俺は!こんなにそばに想ってくれてる女がいたのに。でも、俺には沙也夏しか見えなかった・・・〟
「私は・・・あなたが、あなたが・・・」
 圭子の言葉は最後まで続かなかった。健太が遮ったからだ。
「言うな!言わないでくれ。それ以上言われると、よけいつらくなっちまう」
 健太はバーボンを一気にあおり、いてもたってもいられずに、またトイレに駆け込んだ。
客はおらず、マスターがテーブルの片付けをしていた。
そして、片付けを終えると、水と氷とボトルを圭子の前に置いた。
「はい。圭子ちゃん、あとお願いね」
 マスターはそう言うと、厨房のなかに消えた。
「なるほど。マスターから連絡があったわけか」
 健太はマスターがいなくなると、吐き捨てるように言った。
「あんまりマスターに迷惑かけちゃだめよ」
「ほっといてくれって言ったんだがな」
「それだけ酔ってちゃ、ほっとくわけにもいかないでしょ」
 圭子は水割りを作りながら言った。
「純子が心配してた。会社を二日も休むってこと今までなかったらしいから」
「純子は人のことよりも、自分の体のことだけ心配してりゃいいんだよ」
 健太はそう言ってから、自分らしくない言い方だなと思った。
「そういう言い方はないでしょう!純子は心配してるのよ!」
 圭子も少し荒げた声で言った。
「自分のことは自分で処理するよ。それに、圭子だってここで油売ってる暇はないんじゃないのか?」
「なんで?」
「俺とうまくもない酒を飲むよりも、ヒロシと飲んだほうがよっぽどいいってことだよ」
「何言ってんの?」
「淳之介からご丁寧にも伝言があったよ。ヒロシと結婚するんだって?」
「えっ!あのバカ!ち、違うのよ」
「そんなに隠す必要はないだろう。火のないところに煙はたたないって言うしな」
 圭子は少し慌てたように、バーボンを半分ほど飲んだ。
「じゃ、はっきり言うわ。たしかにヒロシからプロポーズされた。でも、返事はまだしてないわ。純子には話したから、淳之介はたぶん純子から聞いた話を早合点してるのよ」
「俺にはどうでもいいことだよ。結局、圭子も幸せってことに変わりはないんだから」
「ちょっと、健太!今日はえらくつっかかるわね!私も白状したんだから、そっちも何があったか話してよ」

もう、ボトルは残り少なくなっている。マスターが心配そうに健太を見ていた。
だが、さすがにバーボンが好きな健太でも、ここまで飲むと体が受けつけなかった。健太はだんだんと、吐き気みたいなものを感じだした。そして、慌てて席を立ちあがると、トイレに駆け込んだ。
 マスターはその隙に急いで電話をかけた。なかなか、繋がらないようだった。三回かけ直して、ようやく繋がった。マスターは手早く用件を伝えて、電話を切った。


 マスターが電話を切ってから、五分ほどして健太は出てきた。顔色が少し青かった。
健太は座りながら、おしぼりで口元を拭いた。
〝吐くなんて何年ぶりだろう。まあ、一昨日もけっこう飲んだし、無理もないかな〟
 そう思っても、飲むことはやめなかった。もう、ロックでは飲めそうになかったので、水割りにした。それでも、飲んでいることに変わりはなかった。
 時刻は午前零時になろうとしていた。〝ロコ〟の営業時間は一応一時までとなっているが、客がいる限り続ける。客はひと組みとひとりだけになっていた。ひとりとは、もちろん健太だ。


 そして、健太がボトルをもう一本入れようかとした時、客がひとり入ってきた。
 マスターがほっとしたような顔をした。健太は見向きもしなかった。客は女性だ。その客は健太のほうの席に歩いた。

そして、健太のそばに立つと、言った。
「となりに座ってもいいかしら」
「どうぞ」
 健太はどっかで聞いたような声だなと思ったが、酔っぱらっていたので勝手にしろという感じで答えた。
だが、ふと横を向いてギョッとした。
「け、圭子・・・なんでおまえがいるんだ」
「あら。私が飲みに来ちゃいけないの?」
「いや。そ、そういうわけじゃないけど・・・」
 健太は酔いが覚めそうだった。思いもしなかった圭子が横に座っていたのだから。
 健太の耳には、BGMのオールディーズ・ナンバーがやけに大きく聞こえていた。