令和6年1月15日。世田谷のボロ市。




あっちこっち行ったりしている内に、アッという間に帰国しての3週間が過ぎた。


この3週間の間、すっかり忘れていた子供の頃の、昭和の時代の暮れから正月の日本の光景や人々が

記憶の中に蘇っては消え、消えては蘇ってを繰り返している。



昨日行ったカラオケ🎤” まねきねこ” の帰り道、幼馴染のKa◯oちゃんがオイラに

「健ちゃん若くなったね。嫁さんニコニコが若いからかな」と言ってたけど、

そういうわけではなくて、さっき歌った「異国の丘」が、頭の中の子供の頃の記憶を呼び起こしているから、

自然と外見(表情)もそうなってきているのだろう。


小学校の高学年の時、ウチの近くに竹山塾という看板を表に出している家があって、その前を通りかかると

ピアノ🎹の音と時には男性、時には女性の発声の声が聞こえてくる。

ある日、その家の玄関の扉を開けて中を覗いていると、髪をポマードでオールバックにした 

ブルドックみたいな顔をしたおじさんが奥から出てきた。

それが竹山(逸郎)先生だった。言われるままに中に入ると応接間には作りものの犬がくっついた蓄音機(ビクター)が置いてあり、

そして賞状やトロフィーが飾られていた。

そのおじさんは若い時は歌手だったが、今は奥さんと一緒に小中学生を相手の勉強塾を開いているのだった。



“ キミも僕の塾で勉強してみないか。”と誘われて、何度か通ってみたが、そこに来ている子達は北沢小学校や守山小学校という

同じ世田谷区立の小学生だが他校の子達で、自分の通ってる松沢小学校の方が各教科の進度が早かったため、自分は

その竹山塾でやるテストでは満点続き。

竹山先生にはいつも褒められるのだが、

あまりにも内容が易しすぎて2、3ヶ月ですぐ辞めてしまった。


ずっと後になって、竹山先生が懐メロの番組でテレビに出てきて先生のヒット曲「異国の丘」を歌った時には、

あゝ、やっぱり先生はプロの歌手だったんだなあ、と感激したものだ。


自分が後年カナダという寒い異国に住み、今も散歩中に「異国の丘」を口ずさみ、

この曲をカラオケ🎤で好んで唄うのも、

何か子供の頃のそういった出来事を思い出させるからだ。



今日は1月15日、世田谷のボロ市に行ってみよう。



自分の人生を変えた、というか

実相の世界、現実を創り出しているのは脳の潜在意識の力なのだ、という事を知るキッカケになったあの本、

正確には当時の十代のお兄さんやお姉さん達に人気のあった芸能月刊雑誌、「平凡」だったか「明星」だったかは

ハッキリとは覚えていないが、新年号の付録の催眠術の本📕に出くわしたのは、

松沢小学校6年生の時のボロ市だった。



世田谷のボロ市は毎年12月と1月の15、16日に立つのだが、

特に1月15日の成人の日は旗日で学校は休み🎌。


お正月にもらった🧧お年玉があるから

使えるお小遣いも豊富。

ワクワク感一杯で、下高井戸から玉電🚃に乗り込む。


ボロ市の日の玉電は通常より混むし、中に入ってしまうと大人に囲まれて降りられないと困るから

なるべく運転手さんのそばの手すりに掴まって、時々左右に大きく揺れる電車の中で、

大人の人に運動靴の足を踏まれないようにしながら、上町まで、まだかまだかと車窓から外を眺めて。


上町に着いたら電車を降りて、踏み切りを渡り、世田谷通りを渡ったら、あとはボロ市通り向かって一目散に駆け出して行く。



人垣の比較的多く口上の面白い🤣バナナの叩き売りや、ガマの油売りの店では

店の前方に陣取り、時々半ズボンのポケットに手を突っ込んで

ポケットの中のお小遣いを確かめては、まだ何か買える、と

半日を過ごした。


ボロ市は下高井戸や代田橋あたりの神社でのお祭りや縁日とは規模が全然違ったし、

木戸銭(入場料)が子供にはちょっと高かったので、一度しか入った事はないのだけれども

おどろおどろしい🐍👩「蛇オンナ」の見せ物小屋があって、この小屋の前なんかを毎回行ったり来たりした。


小屋はムシロで囲まれていて、その前には鞭のような棒を持った婆さんか、おっかなそうな

おっさんが交代で立ってダミ声で、” 親の因果が子に報い〜”、と語りながらムシロを時たま、少しだけ持ち上げて「XXちゃ〜ん」と蛇オンナ🐍👩らしきお姉さんを呼ぶと、 「アイアイ」と声が聞こえてくるのだ。


しかし、声はするけど姿は見えない。

そうなると余計入って“蛇オンナ” を見たくなる。

怖いもの見たさの見せ物小屋。



さくらさんは昭和40年の巳年🐍生まれだ。

今は見せ物小屋に行かなくとも毎日、ヘビ女ニコニコを見て暮らせるのだから、” それはそれで良し👍” としている。ポーン 叫び目ガーンびっくり





東急世田谷線(玉電)の下高井戸駅。

子供の頃は玉電に乗って、渋谷の東横デパートや

駒沢球場(東映フライヤーズ)に野球を観に行ったものだ。



小学校2年の時まで住んでいた松原は、下高井戸から一つ目の駅。


代官屋敷。

この屋敷の前の通りの両側に数百店の露店が立ち並ぶ。


通りの左右をキョロキョロ覗きながらの人の流れ。




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