小学校の高学年の頃から、夏休みは母方の祖父、吉村孫次郎の出身地である信州上田郊外別所温泉♨️近くの舞田で過ごす事が多くなった。


舞田には吉村家の家と田畑があり、そこには祖父の弟の文蔵じいさんが住んでいて、くらじおばあさんと暮らしていた。

文蔵じいさんは、孫次郎の弟だったが、裏山にある吉村家先祖代々の墓を守っていた。


僕の祖父孫次郎はカナダのブリティッシュ・コロンビア州のケロウナというところで第2次大戦終結を待たずに死んだので、日本の戦後生まれの僕は孫次郎じいさんには会った事はない。


孫次郎は隣の村の小泉の、遠縁の親戚に当たる小林伝兵衛さんに誘われて1907年に故国信州を後にしてカナダ🇨🇦に渡ったのだ。そしてカナダで死んで、そこに墓がある。


『小林伝兵衛とその句』 昭和38年発行


後年、私の母が、ケローナの孫次郎の墓の改修をしたいが墓碑に何を記すか?と私に訊いたので

『求めよ、さらば与えられん』が良いだろう、という事で母は

Knock ,

it  shall be opened toyou

という文字を入れた墓石をケロウナの町の石屋に注文した。


墓は1999年、僕がカナダ🇨🇦移住して20年目の夏に完成し、私は母と、私の娘2人を連れてトロントからカルガリーへ飛び、レンタカーを借りてロッキ山脈を越えてBC州オカナガン湖畔の町ケロウナの墓地に眠る孫次郎さんのお墓参りをした。

その時どこからか野生の鹿が2頭姿を現したのを覚えている。

その墓には彼だけが眠っているのだが、、。


さて今日8月15日の散歩。


ナイアガラペニンスラという小高い丘陵の眺め下にあるナイアガラ オン ザ レーク の葡萄畑の眺め


今日は、いつもの散歩道ではあるが近所のブドウ畑を見ては子供の頃の信州の田舎でのお盆を思い出し、そして教会のお墓を見ながら、70歳を過ぎれば避けては通れない終活問題のひとつ、自分の墓をどうするか、を考えていた。


いつもの散歩道にあるカナダ合同教会の敷地内にある墓地

自分のまだ若い頃、日本での指圧の会合などで、

よく人から「斎藤さんは、カナダに骨を埋めるんですか?」と問われた。

その都度

「日本ではよく、畳の上で死にたい、って言うじゃないですか。

でも、その通りに亡くなる人ってどのくらいいるんだろう?って自分は思っているんです。」と応えたものだ。


それは文字通りの畳でなくてもベッドでもいいのだが、自宅で、理想的には家族に看取られながら亡くなる人っていう意味で自分は答えていたのだ。


実際、かなりの人は病院や介護施設、あるいは出先や旅先などで、原因は事故、発作、などなどあるが、自宅以外で没する。

或いは、自宅であってもトイレや風呂場で亡くなっている人はたくさんいるのだから。


「自分はカナダに骨を埋めるだとかいう、故郷を捨てた気持ちもまったくなく、と言っても、将来は日本に戻るとかいう出稼ぎ根性で日本を離れているわけでもなく、、、常日頃から(人には天命とか使命というものがあるから) 

自分がいつどこで死ぬなどは、自分が決められるものではない、と思ってます」と続けると、やり取りを横で黙って聞いていた徳治郎(浪越)先生は「健泉は国際人だから」と、本音で話し、真っ正面から浪越指圧の海外普及の一翼をすすんでかって出ている46歳年齢の若い弟子に助け船を送ってくれたものだ。


日本にいる日本人と双方意見の噛み合わない会話ってよくありますよね。

海外にいる日本人って鼻もちならないヤツって多くない??


でも、外国で生きていくには、なまじの変化球は通じないので真っ向からのストレート勝負。それも160kmくらいで投げないと外人選手から三振取れないんだって事もあるのです。

下手すりゃあ、渾身込めて投げたストレートボールをバットに当てられただけでパワフルな外人選手にはホームランにされちゃう。


味方が打って援護射撃してくれなきゃ、いくら力投してたって敗戦投手。

県大会勝ち抜いて甲子園行って、たとえ1回戦で負けたとしても、、、。

地元の駅に降り立って改札口くぐれば、

勝てば官軍、負ければ賊軍” かい?


子供の頃、新聞記者になって、海外特派員になりたかった。

それも朝日新聞より東京スポーツの特派員だった。

だって海外武者修行して羽田空港に到着したレスラーの記事を書けば拙い文章でも、必ず一面で

「XX選手、凱旋帰国!!」の踊る文字で掲載されるからな。


「凱旋帰国」って

カッコ良すぎない⁉️


凱旋帰国したかった日本の兵隊さん、沢山いたと思うよ。

でも、出来なかった。


靖国神社で会おう


アメリカの博物館、けっこう行ってます。戦争博物館も行きますが、そこで観る映像。

第2次世界大戦が終わり母国に戻った兵隊🪖さん達をニューヨークで星条旗🇺🇸を振って迎える“ 凱旋帰国パレード“。

とにかく生きて帰れた‼️

「授かりものの命」

大事にしようぜ!


お盆の時期、信州の田舎ではくらじおばあさんが仏壇に供えるアンコ入りのお饅頭を作るのが習わしだった。

お線香のニオイのする中で、このくらじおばあさんの作った饅頭を食べるのが、小学生のボクには夏休みの楽しみのひとつだったのだ、、。