心と意識というのは現在でもどこにその所在があるのかということが研究されているそうです。

意識をなくすというのは麻酔薬などで現象としては人為的に起こせますが、では薬理学的に麻酔薬がどう効いているのかはまだよくわからないとされています。

心についても意識の働きとして生じるとか、脳の生理的な現象として生まれてくるとか言われているようですが、こちらもあまりはっきりとしないものとして考えられています。


東洋医学的な考え方では、「心は神に通ず」といいます。
これは具体的には、五臓がしっかりして働きが出てくると、体の外にある「神」が心に降りてきて宿るという考え方をすると博識な先生から教えていただきました。これが意識であり心であると。

この考え方では、「神」が体の外にあって、意識や心はこの神に通じたときに生ずる者であるという考え方になります。意識をなくすとはこの「神」が体の外に出ていく現象であるとするのだそうです。
こうなるとこの「神」というのは個々のものではなくもっと大きな存在ということにもなりえます。いわば「集合意識」のような考え方がここにはあるようです。

ですから精神的な疾患や心の病に対しては「邪気が宿った」「汚れた神が宿った」として邪気を追い出すこと、つまり祓い清めることが大きな治療だったようです。
漢方の古い書籍にはそのための方法や、そこに使う生薬などの採取方法があったりします。

心や意識が解明された時、この東洋の考え方とどのくらい差があるのか?
楽しみです。