紀元節… | 「ごんごんと風に漂う雲にのり」

「ごんごんと風に漂う雲にのり」

子供たちを授かったあの日から・・・



自分は、あの頃のまま未成熟な故

我が子の成長に、戸惑い・悩み・怒り・喜ぶ・・・

そんなこんなを、綴りたいです…




今日、2月11日は『建国記念の日』…

神武天皇が奈良は橿原の地で

初代天皇として御即位された事に

由来する祝日なんよね。








『日本書紀』には、「辛酉春正月、庚辰朔、天皇橿原宮に即帝位。是の歳を天皇の元年と為す。」と記されていて

これを明治時代に新政府が

今日の太陽暦に直して、2月11日

となったんよ。

明治維新の後、日本は近代国家

としての体制を確立するために

様々な制度改革を行った中で、

太陽暦の施行と、西洋諸国が自国

の紀元に当たる日を祝日と

していたことを模範とした

神武天皇紀元の制定も行われて

明治5年に神武天皇即位の年を

日本元年と定め、翌6年には、

太政官の布告によって

神武即位の日を太陽暦に換算した

【2月11日】を紀元節と定められ、

皇室を中心とする国柄を

確認するとともに日本の誕生日と

してお祝いする祝日となったんよね。

そやけど、先の大戦(大東亜戦争)に負けちゃったもんやから

占領軍(GHQ)は、日本の

諸制度はもちろんのこと、

国柄の中心にある皇室を国民から

切り離す為に、様々な改変を

迫って来たわけよ…

その一つが、皇室と神道との関係が

深い等の理由から指示された、

祝祭日の廃止…

祝祭日当日には、地域の発展を

願う祭事や家の祖先の祭りなど

様々な伝統的習俗や祭礼行事、

記念の催しが行われていたのに

その当時、祝祭日の存続を望む

国民の声が多数を占めてたのにも関わらず、

この多くの国民の声に応え、

当時の国会においても最後まで

紀元節を残そうと努力がされたんやけど…

GHQの強烈な圧力の下、

昭和23年7月20日に制定された

【国民の祝日に関する法律(祝日法)】によって、

【紀元節】は廃止されてしもぉ〜たのです。

日本人としてその事実は知っとかんとね…




その様な日やから…

阿闍梨さんの【弁財天浴酒供】

心してお随喜させて戴こう…





昨日の夕方…

美しい虹が一瞬そのお姿を見せてくれたんよ…










今日一日
この星(地球)が
健やかな笑顔で
おられますことと
世の中のすべての存在が幸せで
ありますことに
氣持ちの奥底から
感謝致します。
我いま心穏やかに力身に満つ………

橋本利幸(りこう)