「藤田嗣治×国吉康雄 二人のパラレル・キャリアー百年目の再会」展。
「美術」のカテゴリーではあるが、ここでは展示の内容ではなく、年譜を見てむちゃくちゃ驚いたことを記する。
藤田嗣治が1929年に「ユキと入籍」とある。戦前戦後の民法、戸籍法を通じて外国籍の人が日本人と結婚したからといって「入籍」することはあり得ない。
さらに1938年には「堀内君代と入籍」。これは詳しく調べなければならないが、藤田はそれまで結婚歴があるので、初婚ではない。戦後民法・戸籍法に照らせば、藤田はもう親の戸籍にいるのではなく、自分の戸籍を持っているので、君代夫人と婚姻する際には、君代夫人が「藤田嗣治」の戸籍に入ることになるので、「堀内君代が(藤田の戸籍に)入籍」が正しい。しかし、1938(昭和13)年であるので、旧戸籍法(大正14年)が適用される。周知のように、戦前の家制度の基では直系男子のみの長子相続・戸主制度であり、次男である嗣治が結婚したからといって父親の戸籍から出ることはない。そして、嗣治の兄、長男が存命か、父親が存命かによって、戸籍の記載方法が変わってくる。
仮に父親がすでに没していて、長男が継いでおれば、嗣治が兄の戸籍にいる状態となるし、その兄も没しておれば、嗣治が戸主となっている戸籍である可能性がある(長男の子が長子相続により戸主となっている可能性ももちろんあるが、複雑になるのでここでは触れない)。この場合も、戦後の初婚同士のように婚姻に伴う新戸籍編制となり、夫婦とも新戸籍(筆頭者は嗣治)に「入籍」するのではなく、妻の方だけが「入籍」する。やはり「堀内君代が入籍」が正しくなる。藤田は堀内君代と結婚するまで二度外国人と結婚しているので、その際の戸籍がどうであったかは調べて見る必要がある。
なぜ、ここで藤田の「入籍」表記にこだわるかと言うと、同じ年譜に記載された国吉康雄は「きちんと」「キャサリンと結婚」、あるいは離婚、「サラと再婚」と「入籍」表現を使用されていないからだ。国吉は戦後にアメリカの市民権取得の手続き中に死去しているので、生涯日本国籍であり、戸籍があったはずである。であるのに「結婚」「再婚」と記載して「入籍」は使っていない。もちろん、こちらの方が正確であり、法制度・概念とも合致している。
あの年譜を作成したのが誰か不明ではあるが、私がこれまで幾度も指摘してきた「入籍」概念の誤使用についてあまりにも無頓着な点に驚いた次第。(友人にこの旨、伝えたところ、2018年にあった藤田嗣治展図録でも上記「ユキと入籍」「堀内君代と入籍」表記はそのままで、同展の監修者は林洋子現兵庫県立美術館館長であるという。)今回の兵庫県立美術館「藤田嗣治×国吉康雄 二人のパラレル・キャリアー百年目の再会」展も、藤田の研究者でもある林館長の「並々ならぬ注力」の結果であるとも聞く。現況のジェンダー概念の見直しや、選択的夫婦別姓運動その他のそれら成果に林館長が疎かったのかとは思いたくないが。(「藤田嗣治×国吉康雄 二人のパラレル・キャリアー百年目の再会」展は8月17日まで。)