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ヨーロッパの片隅で

シリアスな話題から下ネタまで、ただ思いついたことを書いていきます。

今日は、2つ目の講義に間に合わず、大変な思いをした。


一つ目の講義と2つ目の講義の場所が異なるので、バス移動したのだが、私が乗ったバスが他のクラスメートのバスのひとつ後になったので、悲劇が始まった。


2つめの場所に13分遅れでついた。


なんとかギリギリ許容範囲か!と思ったのだが、


学生も先生もいなかった。


そこにいた別の先生に”みんな~に行ったよ”と教えられた。


教室名や建物名が分からず、窓からあそこの2階だ。と教えられたので、そこに行ったが、違っていた。


それから、40分ぐらい、あっちでもない、こっちでもないと探しまくった。


途中で何人にも聞いたが、わからなかった。


結果論であるが、その何人か聞いた内の2人は正解を教えてくれていた。でも、僕が入り口を勘違いしていたのだ。


それから、元の講義室に戻り、また同じ人に聞いた。


でも、よく理解できなかった。そしたら、そこにいた別のこの学校とは関係ない男性が、その説明を聞いて、”僕が連れて行ってやる”と言ってくれた。


そして、その男性について行ったが、最初は私が何度も間違った場所に行って、何度もたずねた人たちに聞いていたが、”違う”と言われた。


それで、その男性も認識したと思う。その場所を見つけるのがそんなに簡単ではないことを。


しかし、そこは、母国語どうしでたずねているので、その内の一人が、僕の今日の講義の先生に電話してくれて、そして、やっとその場所がわかり、たどりついた。


講義室では、先生に、”21世紀になって、ケイタイを持ってない人を初めて見た”と嫌味を言われた。


たぶん僕が、みんなが僕に知らせずに勝手に場所を換えたことを非難するとでも思ったのだろうか。予防線を張った嫌味だったのか。


結局講義の場所についたのは、予定の1時間遅刻であった。


ただ、始まったのも遅かったようで、講義はそれほど進んでいなかった。


こういうエピソードがあると、またこちらの国の人の中に入っていくような感じがする。


僕を正解に導いてくれた男性はほんとに親切だった。友達になりたいぐらいだった。


今日は始まるのがちょっとゆっくりなので、朝9時ですが、まだホテルにいます。


これを書いたら出発します。


こちらにいて、日本とかなり違うのではないかと思うことに、視線を合わせるということがあります。


講義で先生がこちらを見て、目が合った時、僕は普通視線を逸らすのですが、こちらでは、それは失礼になるのかなあと、うすうす感じている。


視線を逸らすというのは、日本人的には極普通だと思う。


むしろ、日本人的には、視線が合っても、逸らさない方がちょっとおかしいと見られることが多いと思う。


講義の時でも、先生から数メートル離れているなら、目が合っても、なんとも思わないが、


昨日とか(今日もたぶん)、先生と同じテーブルを囲み、視線が30センチぐらいに近い場合、どうしても逸らしてします。


それが、僕的には普通の反応だ。


もちろん、その先生がきれいな女性だったら、マナーどうこうというより、本能的にたぶん視線が合ってもずっと逸らさないと思う。


でも、おっさん同士、目が合って逸らさないのは、どうもおかしいと思う。


しかし、こちらでは、そうして目をそらせた跡、先生の対応が悪くなることがある。嫌っていると思われるのだろうか。


日本人的には遠慮と言う気持ちだが、嫌っていると感じられている可能性が大きい。


よし、今日は、おやじと視線を逸らせず、講義を聴こう。

さっき、帰りスーパーで買い物をして帰ってきた。


トマトが2種類あり、安いほうを買った。


買う時、安いやつと高いやつがかなり似ていたので、ちょっと嫌な予感がした。


案の定、レジが終わって、レシートを見ると高い方の値段になっていた。


レジを打っているとき、”安い方”とロシア語で言ったが通じなかったがか、信じなかったのだろう。


数十円の損なのだが、僕はよくこの損を取り戻すために、交渉して金銭以上の労働をして損を取り返すことがある。今日は、面倒なので泣き寝入りした。


トマトを選ぶ時、悪い予感がしたが、この予感というものは、過去のいろいろな経験から、脳が悪い予想を導くのだろう。



コンピューターには難しいかもしれない。言葉にはできないが、そういう感覚ってよくある。僕の場合はよく当たる。


今日の損は、ブログのネタになったので、結局とりかえした。

昨夜は2時ごろ寝て、さっき朝9時過ぎに目が覚めた。


熟睡だった。


シーツ交換したから、シーツの肌触りが、気持ちいいのでよく眠れたのだと思う。


すべて病気は物理だ。


が僕の理論。すべての病気は物理的な変化で説明できるし。病気をよくするのも悪くするのも物理的なものによるという画期的理論である。


まあ、その詳しい理論は日を改めて、記述するとします。


さて、本題にはいります。


よく”お好み焼きをおかずにご飯を食べるのはおかしい”って言う人がいます。


炭水化物をおかずに炭水化物を食べるのを否とする人たちです。


僕は特におかずが炭水化物かどうかなんて、気にしない派です。


うまければいい。


お好み焼きで、ご飯が進みますねえ。


お好み焼きには、とんかつソースやマヨネーズをかなり大量にかけるので、その味でご飯が進むのだと思う。


一方、たこ焼きはおかずにしたことがない。たこ焼きはおやつという感覚が強い。


小さい時、夕食がたこ焼きだったことが何度かあったが、ご飯は食べなかった。


たこ焼きはみんなで焼きながら、遊び感覚で食べるのがいい。


僕はおかずが炭水化物かどうかはほとんど気にならないが、炭水化物かどうかに関係なく、僕にとって、おかずになりにくいものがあります。


それは、味的なものなのだと思う。


茶碗蒸し、冷奴(かけた鰹節にしょうゆがしみこんでいればおかずになある)、てんぷら(大阪でいうてんぷら。練り物です。今はいけるが、子供の時おかずって、ちょっと抵抗があった)、豆類(特に甘いもの)


今でも、きな粉をご飯にかけて食べるのは、絶対無理、というか初めからやるきがしない。


ラーメンライスはぜんぜんOK. うどんライスは、あまりご飯は進まない。


ようは、成分ではなく味の問題だと思う。


薄い味、甘い味のものはおかずにならない。

今朝、予定どおりホテルの朝食バイキングに行ってきた。


いつものように大食いして、部屋に戻ってきて、また寝たら、今起きたら昼の2時である。


あれだけ食べたら、栄養不足はないだろう。


さっき寝ている時、ポコチンの勃起が半端なかった。


でも、夢で塀を登れない悔しい思いもした。足が思うように動かなかった。


でも現実はよく動くようになった。ポコチンまでギンギンだもん。


さあ、環境が整ったところで、今日は勉強だ。

一昨日の歩けなくなった経験は、一日だけでも、身体障害者になるというかなり貴重な体験だったと思う。


見える世界が違った。


今日、大学に行く時、一昨日、転倒した場所も通ったが、転倒したら絶対だめな状態(起き上がるための大腿の前部の筋肉が弱っていたので)で不幸にも転倒して、


その時は、闇だった。一瞬先は闇の闇である。夢中で、近くの段になっているところまで、膝で歩き、高段につかまって、何とか立ち上がった。


歩く時も少しバランスを崩したら、倒れてしまう状態だった。


しかし、一度、比較的安全なところで転倒したおかげで、その後、道路を渡るとき、転倒しないようにより慎重になった。


車が行き来するところで、急に倒れたら、かなり危ない。


それから、病院で治療を受けた時は、いつもと違う感覚だった。


外人という感情がほとんどなかった。この社会で助けてもらうしかないという、かなりこの社会に入った感じ。


それから、僕の歩き方を見た人たち(特におばちゃんたち)が親切だった。


いつも、そんなに話しかけてこない人たちなのに、知らないおばちゃんがいろいろ助けてくれた。


たぶん、僕は普段は、ある意味、隙がなく、それがバリアーになって、気安く話かけてもらえないのだと思う。


身体障害者という社会の弱者になったとき、そのバリアーが取れて、僕に対して外人という感覚も薄れたのだと思う。


しかし、歩けなくなるのはもうこりごりだ。

今日は、金曜。午後、大学から帰ってきて、シーツ交換をした。


それから、前々からしようと思っていた掃除をした。


メイドさんに掃除機を借りてしたのだが、気持ちいいようにほこりを吸ってくれた。


今の部屋の掃除は、1年振りと言ってもいいだろう。


ここに引越ししてきて、しばらく経ったころ、受付においてあった掃除機を借りてやったことがある。その掃除機は、あまりよくなかった。


今日のやつは、普段メイドさんが廊下などを掃除している大きなやつである。


たぶん、僕の部屋のほこりは、圧迫されていない状態なら、バケツ1杯以上あったと思う。


ただ、掃除機を返す時にメイドさんがいなかったので、そのままシーツ交換の部屋の前において置いたのだが、あれだけ吸ったら掃除機の中を掃除しないとだめだと思う。


”すごいほこり吸ったよ”と一言いいたかった。


あとから、メイドさんが気づいて、あいつに貸したらろくな事ない”って思われたらいやだなあ。

今日、大学の購買で買い物をした。


売り子の女性が40代ぐらいのおばさんねえさんだったので、ロシア語で話したが、全く通じない。


簡単なロシア語だったので、僕もそんなバカな!と思ったが、やはり通じない。


わかりません。って、英語で言われた。英語が通じた。


こちらでは、外国語として、年配層は、ロシア語が通じ、若年層は英語が通じる。


この女性を僕は年配層と判断してロシア語で話したが、もう独立して20年以上経つのだから、40代もニュージェネレーションに入るんだなあ。と実感した。

完治宣言を出したものの、今日、2日ぶりに学校に行って、帰りには結構歩くのが困難になっていた。完治ではなかった。


でも、2日前のように一度倒れたら、起き上がれないという不安はないので、許容範囲である。


スネの筋肉が疲れて、つま先が上げられなくなった。


しかし、筋疲労が簡単に起きすぎである。これはおかしい。


5階まで階段を駆け上っただけで、翌日歩けなくなるというのは、もうそもそもおかしいのだが。


カルシウム不足もあるのかなあ。と思って、さっき牛乳を買ってきて大量に飲んだ。


明日は、ホテルのバイキングで大食いだ。

芸能人の離婚というのは、ほんとに多い。半分以上は離婚しているのではないかと思う。


ニュースになるのは有名人だけだが、一般人の離婚率もかなり高いのだろう。


僕は結婚していないので、離婚もしていない。


僕の姉は2度結婚して、2度離婚している。


大雑把に見て、妻が働いている場合、離婚率がさらに高いと思う。


先日の浜崎あゆみ、田中律子、沢尻えりか


完全に家庭に入ってしまった場合離婚率は低くなるようだ。


山口百恵も続いている。とんねるずの2人も続いている。


さんまと大竹しのぶも離婚した。最近では陣内と藤原紀香も離婚した。


僕の姉も看護婦を続けていた。


やはり、女性は家庭に入らないと離婚してしまうのか。


それとも、家庭に入ると逃げ場がなくなるから、我慢して離婚しないだけなのか?


でも、どちらにしても、離婚したくないなら、女性に仕事をやめてもらった方がよさそうだ。