待つということ 文化の違い | ヨーロッパの片隅で

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シリアスな話題から下ネタまで、ただ思いついたことを書いていきます。

震災のとき、配給をもらうのに、日本人がきちんと整列しているのを海外のメディアが賞賛していたが、確かに外国からしたら、異常な光景だったのかもしれない。


こちらでは、クラスで何か順番でする時、私はいつも最後になってしまう。


みんな我さきとしたいから。普段はいいやつでも、そういう時は、人を平気で押しのける。


銀行では、番号の紙を取って、椅子に座って順番を待つので快適である。


移民局などは、番号の紙を取ってから待つのだが、待ち時間が2.3時間以上という尋常でない時間待たないといけなかった。


以前、移民局に行った時、先に来て待っていた顔見知りのアラブ系の学生が、番号の紙をくれた。


そのアラブ系の学生は、自分の紙以外に何枚か余分に番号の紙を取っておいたようであった。


ルール違反だと思いながらも、その紙をもらった経験がある。


今は、機械ではなく、受付で番号の紙をもらうようになったので、そういう不正はなくなったと思う。


話は変わるが、日本人のように行儀がいいと生きていけない世界もある。


20年以上前、中国に行った時、上海で、バスに乗るとき、誰も列を作ろうとしない。


バスに我先にバスに乗り込もうとする。日本人のように待っていると、最後までバスに乗れなかった。


一ヶ月以上、中国を旅行して、そういう強引にバスに乗るマナーに慣れてから、香港に行き、


その身についた習慣で、並ばずにバスに乗ろうとして、みんなから、非難されたことがあった。


香港は中国の習慣ではなかったのだ。


場所によって、マナーを考えないといけない。


そういえば、先日、電車でケイタイを使用して、注意されたオーストラリア人が注意した人に暴力を振るったと言うニュースがありましたね。これも文化摩擦かもしれない。


アフリカにいたときは、意外に銀行などでも、みんな結構ちゃんと並んでいた。


アフリカ人は待つのが苦ではないらしい。待つということに関して、経済的な発展具合は関係ないんだなあ。


今回は、待つということを中心に書いたが、その他でも文化によって、行動様式が異なるので、異文化生活は難しい。