試験の評価 | ヨーロッパの片隅で

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シリアスな話題から下ネタまで、ただ思いついたことを書いていきます。

今日は、朝から暖かかったです。一気にになった感じがした。

気温は今朝から10度以上を維持し、今見たら18度になっていた。今年一番の陽気である。

日差しも強く、体感的には20度以上ある感じがした。ダウンジャケットを着ていったら暑かった。

この国、北国なのになぜか日差しが強いんです。でも、紫外線はあまり含まれていないのか、人々の肌は白くてきれいです。

オーストラリアに行った時は、人々の肌が大変な状態になってました。それでも若い女性は肩を出すんですから、皮膚癌が多いというのもうなずけます。

今日は試験でした。筆記試験です。初回3位、2回目1でしたから、あまり悪い点数を取るのは恥ずかしいのですが、あさって、もっと苦手なテストがあるので週末はそっちの方を重点的に勉強してました。でも、なんとか面目は保てたと思います。(速報。今さっき、ネットで今日の試験の結果が出ました。一位でした。しかも、前回は同点で2人が1位だったのですが、今回は単独一位でした。ひとまず、すっきりです。)

あさっての試験は、先週この試験を受ける権利を得るための小テストがあって、ぎりぎり「」で合格しました。4でも一応合格なんですよ。でも取りたくないですけど。一応、試験に参加するための権利を得るだけなので「4」でも「8」でもいいんですけど実はヤッパリ微妙に本番の試験の評価にも影響するんですよね。

もし、試験が今日の試験みたいな筆記試験でしかも、選択か、記述でも単語で答えるような試験だったら、先生の主観は入らないので試験をがんばっていい点を取れば、いい評価になるのでしょうが、

評価する先生の主観が採点に影響するような試験(口答試験や筆記でも文章で答えるタイプのもの)だったら、「こいつは4で小テストを通ったんだな。」できない学生だなって思われて、試験で同じ答えを書いても評価は低くなる可能性があります。

オリンピックでも同じだと思います。ぎりぎりの成績でオリンピック参加資格をもらっても、もし競泳など客観的な結果がでる種目だったら、本番のオリンピックでいい成績を出せばいいけど、もし、フィギアスケートにように採点者の主観が入ってくるような種目だったら、「こいつはぎりぎりでオリンピックの参加資格を得たんだなあ。」って見くびられて同じ演技内容でも評価が低くなる可能性がある。

僕の試験とオリンピックとよく似ている

でも、口答試験とかで、「自分はよく理解していて、高い点数を採って当然だ。」みたいな態度で、演出してなんとか少しでも教授の評価を上げようとする奴らがいるが、僕は大人なのでそんなことはする気はしない。不当な低い評価をもらっても、それはそれで、「その教授にとってはそう感じたんだなあ。」と納得する。(但し、僕より教授の評価が高かった奴に僕の知識が負けているとは認めない。)ただ、教授はそう感じたんだ。ということを受け入れるだけ。

僕、基本的に評価されるって嫌いなんですよね。