トゥルク。かつてフィンランドがスエーデンに支配されていた時の
フィンランドの首都。
ヘルシンキから新幹線のような綺麗な電車で、約2時間。
凄くこじんまりした、素敵な街でした。
近くにはナーンタリと言うムーミンワールドに近い街もあるのですが、
今回の目的はムーミンではなくて『シベリウス』です。
シベリウス
フィンランドを代表する作曲家。
クラシックにそんなに詳しくない方でも、きっと第二の国家とも呼ばれている
『フィンランディア』の美しいメロディーはご存知ではないでしょうか。
そして国民的な英雄でもあります。
彼は、若いうちに全ての主要作品を残し、その後絶筆。
晩年は作曲家としてではない人生を歩みました。
しかし、あの有名な交響曲第二番やヴァイオリン協奏曲、
悲しきワルツ、トゥネラの白鳥など、繊細で凛とした強さを秘めた美しいメロディーを
生み出して来た作曲家です。
話は逸れますが、
彼は、生前も死後も、フィンランド以外のクラシック楽壇では、あまり重要な人物ではない
評価のされ方をして来ました。
なぜなら、ストラビンスキーが破壊した調性、そしてそれをさらに根本からひっくり返した
シェーンベルグの12音。
そんな大胆な改革の時期に生きながら、まだ淡々と美しいメロにこだわった
調性音楽を作っていたのですから、『時代遅れ』の『ただ単に甘いメロだけ』の
作曲家と言う評価を、つい最近までされて来ました。
少しチャイコフスキーに似ている評価のされ方ですね。
ただ、私は思うのですが、今となっては我々にとっては、バッハもベートーベンも
シベリウスもシェーンベルグもジョンレノンも渡辺岳夫もすべて過去の人です。
全部一緒くたにクラシック。(言い方に少し語弊があるだろうけど)
同時に聴けるのです。
だから、当時は時代遅れって思われていても、今になって見直された時に
それが絶対的に、人の心を掴む優れた作品であれば、
そんな事、今の聴き手にはどうでも良い事なんです。
つまり、我々作曲家の生き方として、今、と言う現在の評価も無論大切ですが、
そればかりに流されて(人の顔色ばかりうかがって)の創作だけでは
虚しいのではないか?
『後世に残る』なんて、おこがましい事は思ってもいないけど
自分の心の内から沸き上がって来る”魂の叫び”のようなアート本能に
もっと忠実であっても良いのではないか?
なんて、考えたりもします。
時代に流されず、そんな自分に忠実な音楽を作り続けたのが、シベリウスだったのです。
雑音の入りにくい、ヨーロッパの僻地フィンランドだった事も良い影響があったのではないか?
とも考察されます。
脇道に逸れ過ぎました。
ここ、トゥルクにはそんな彼の作品を集めた『シベリウス博物館』があるのです。
ここに来たのはその目的のため。
『交響曲第二番』『ヴァイオリン協奏曲』『フィンランディア』の自筆楽譜に
出会う事が出来ました!!
その作品の作曲のスケッチも同時に展示してあって、彼の作曲の進め方の
細かい説明まで解説されていました。
東京のサントリー美術館でワグナーの『トリスタン』の自筆譜に出会った時も
興奮しましたが、今回もそれに勝るとも劣らない気持ち。
やはり、楽譜には伝わるものがありますね。
そう、先ほどの”魂の叫び”が、音符を通して感じる事が出来ます。
だから、コンピューターで楽譜を打ち込むより、気持ちの入った手書きの方が
絶対に伝わる物が大きいと思うのですが、どうでしょうか?
ここ、トゥルクでは、先日ライブで見事なSAXを演奏してくれたミュージシャンの
『タネ』さんが町中を案内してくれました。(感謝!)
とにかく、気候が良い。
風がとにかく心地よい。
この時期のフィンランドは、全世界でも最高の季節かもしれない。
そんな感覚を受けました。
来て良かった!本当に心の底から思いました。
最高の時期に最高の出会いが今回の北欧訪問ではありました。
フィンランドの方々の暖かさ、純粋さに感服し、
地元のミュージシャンとのコラボも成功し、
憧れのシベリウスにも会え、
そして、それとは別に今後に繋がるかもしれない最高の出会いもありました。
私の人生の節目となるかもしれない旅でした。
いや、大げさではなく。
今回、私に関わってくれた皆様方に、改めて御礼申し上げます。
ここまで、読んでいただいた皆様も含めまして
ありがとうございました!!