今日は作曲家にとって大事なお仕事の一つである『デモテープ』について
書きたいと思います。
作曲家は、曲を作曲する事を生業にしているのですが、ではどのようにして
その楽曲を自分以外の人に伝えるのか?
昔は『楽譜』だったり実際の『演奏』だったりしました。
しかし今日では、作曲家が自分で『デモテープ』を作って、そこに歌のメロを
録音して、他人に聴いてもらうのが一般的です。
この『デモテープ』なんですが、私が編曲をしていた当時
色々な作曲家さんご自身で制作されたテープを、数多く聴きました。
菊池先生や渡辺先生のお作りになられた『デモテープ』も、現在所持しています。
そのほとんどが、ご自分で楽器(ギターやピアノ)を演奏して、その上に
歌が入っているのですが、その作曲家さんがご自分で歌っておられる事も
多々ありました。
一番面白かったのは、
K先生のテープで、
ご自身自らギターを弾いて熱唱中に、遠くで電話が鳴り出したけど
止める事は出来ないでお続けになっている時
奥さんらしい人が
「あなた~電話~出てよ~」と叫ぶ声が。
ワンコーラス終わると、そそくさとテープのスイッチを止められたらしく
少し、尻切れトンボになっていました(笑)
現在では、多重録音システムとシンセが発達したおかげで、
このような微笑ましいテープを聴く事はなくなりました。
そのせいで、我々作曲家は、以前よりも楽曲のプレゼン用に作る『デモテープ』に
もの凄く手間がかかるようになって来ました。
そう、凄く手の込んだ『デモテープ』の登場です。
そのテープを聴いただけで、もうすでに完成品ではないか?と思われるくらい
作り込んだものが主流になってきました。
これは選ぶ側の意識の問題だと思うのですが、曲に対する想像力を必要としなくなり
作曲家と編曲家の棲み分けが、曖昧になると言う弊害も生み出しつつあります。
つまり、あまりにも完成し過ぎているので、作曲後の編曲と言うステップで
楽曲のイメージの固定化が激し過ぎ、
そのイメージをどうしてもぬぐい去る事が出来ずに、
結局、『デモテープ』通り、と言う編曲になりがちです。
これは、私はあまり好ましい事ではない!と思っています。
作曲家と編曲家が同一人物なら、別に良いのですが、
違うなら、そこに一種の『化学変化』がなければならない、と思うからです。
『デモ』通りにやるのなら、別に編曲家に依頼しなければ良い訳ですからね。
私が、編曲を別の人にやってもらいたいのには、この『化学変化』を
期待している事にあります。
私の才能と彼らの才能が上手く交わった時、凄く面白くなるケースを
数多く見て来たからです。
だから、私の『デモ』はわざと作り込む事を避けているのです。
これはこれで今まで成功してきましたが、弊害があります。
『コンペ』では非常に不利なのです。
多数の中から『コンペ』で選ばれる作品は、たいがい『デモ』が
極端に作り込んでいるものが勝利する事が多いのです。
聴き手側が、そのサウンドや編曲の豪華さに、ごまかされているのですが、
今の曲はメロラインだけではなくて、サウンドを含めた総合点で評価され過ぎだと
思いますね。
だから、メロディーの太い楽曲が現れにくくなり、必然ヒット曲も少なくなって
しまいました。
そりゃそうですよ、
ユーザーのほとんどが、良いメロディーを求めているのですから。
私は、『コンペ』に不利であろうが、なかろうが、今の『デモテープ』の
作り方を改めるつもりはありません。
私の太いメロを一番良く表現しているのが、私のような薄いアレンジの『デモ』だし
編曲家さんの想像力が、一番刺激されるのが、今のやり方なのですからね。