菅野音楽の素晴らしさ。

実際に譜面に取ったりして、深く研究するに連れて分かって来た事があります。


まず、彼女の音楽は人間の五感を程よく刺激してくれます。
それと同時にその聴き手側の五感が、だんだん研ぎすまされて行く感覚を覚える事です。


光、色、風景、時には香り、味さえも感じる、まるで印象派絵画のような圧倒的な
センスの良さがあります。

あまりのセンスの良さに一聴しただけでは、
その良さだけしか我々の粗末な耳では感じ取れないのですが
そこには、綿密に計算され尽くしたスコアが存在します。

きっと彼女の耳には、その音楽の完成形が作曲以前から聴こえていて、
譜面はそれを具体化するだけのものでしかないのでしょうが、
それが、音の設計図か?と言うとそんな単純ではありません。

そこに書かれた音符の一つ一つが躍動し、全体を見るとスコア自体が
まるで絵画のアートのように美しいのです。


つまり、聴いて素晴しく、見ても美しい。
何とも不思議で魅力的なスコアです。



そして普通、作曲家には大きく分けて2種類が存在します。

#サウンド指向
と、
#メロディー指向
の2種類です。

つまり、一つの曲を作る時、まず最初に頭の中にメロディーが浮かぶのか
サウンドが浮かぶのか、
どちらかから先に必ずアプローチされるものです。

そして、どちらか一方がどうしても突出する傾向があります。


これは、我々BGM作家に当て嵌めると良く分かります。

私はメロが浮かびます(サウンドも同時に浮かびますが、メロの方が強い)

きっと川井くんは(推測ですが)サウンドが浮かぶのではないか、と思われます。

これは持って生まれたようなものなので、なかなかその癖は直らないのが
通例です。


そしてこの二つの指向の間には、『深い川』のようなものが存在し、
なかなかあちら側に行けないようになっています。



しかし、菅野さんは軽々とその『深い川』を飛び越え、
こちら側とあちら側を自由に行き来するのです。

実際、彼女の曲を分析すると、メロが先に浮かんだか、サウンド重視なのか
判断が付かない事がたくさんあります。

きっと、全く同時に思いついているのでしょうが、その二つのもの凄いマッチングの良さに
いつも感心させられました。

分かりやすく言うと、メロ系の人は、頭に浮かんだ時には”メロの後ろにサウンドが聴こえ”
サウンド系の人は”サウンドにマッチするメロがずっと後になって聴こえる”のです。

これも同時と言えば同時ですが、彼女の同時性とは比べようもありません。



美味しいカレーは、ルウの中にスパイス、肉、野菜が色々入っているけど、
それが渾然一体として美味しくなるのと同じように
音楽も色々なエッセンスが複雑に絡み合って、一つのアートとなります。

ただ、煮込み方が足りないとカレーも美味しくないように
音楽もその練り込みが足りないと、良い作品とは言えません。


なのに、普通の作家はサウンドとメロの間の『深い川』を行き来出来ず、
どちらか一方側の練り込みで終わってしまう事に
どうしてもなりがちです。


しかし、彼女にはそんな『深い川』はあってないようなものですから、
必然両方からのアプローチ、練り込みが同時に出来ます。

しかも驚くべき事に、最初に彼女の頭に浮かんだ時点で、すべてが完成しているのです。


世界を代表するようなシェフの方は、この感覚をお持ちで
料理を思いついた段階で、その皿の盛りつけ、味、香り、それを食べるお客様の感情まで
瞬時に分かると言います。


これ一点だけを取っても、彼女はシェフで言えば三ツ星クラスの音楽家と
言えるのではないでしょうか。



(続く)