このところ、勝負のはっきり付くプロの試合を立て続けに
観戦しました。

将棋の名人戦しかり、マスターズしかり、桜花賞しかり、
オリンピックやプロ野球、、、、

当然勝負ごとですから、勝者もいれば敗者もいる。

勝者には栄誉と収入が与えられ、敗者はその半分も得る事は
出来ない。

”勝負は時の運”と言う言葉もあるほど、
その勝負は”紙一重”
だったのにも関わらず、勝ちと負けの差はあまりにも大きい。


昔、イギリスにはこんな言葉がありました。
『勝者には何も与えるな』

つまり、他者に勝つと言う事はそれだけで栄誉な事だし、
敗者の痛みを思えば、勝者だけにすべてを与える事は
良くない事だ。

そんな意味でしょうか。

しかし、現在ではそんな言葉も虚しいほどの歴然とした
”差”が付くようになりました。

勝者がすべてを持って行くようになりました、、、、


勿論、勝てればそれに越した事は無い。

敗者への慈しみも、勝った者の余裕として素直に思う事が
出来ます。


でも、勝ち続ける事はどんな人間にも不可能です。

いや、人生負け続ける事のほうが、絶対に多いはずです。

負けた人間が出来る事は、その負けを今後の人生の糧にして
成長をするんだ!と言う事ですが、
そんな簡単には思えないのも事実です。

『勝っておごらず、負けて恨まず』

言うのは簡単です。

しかし多くの人の現実は、

『勝って有頂天、負けて後悔』
だと思います。


ただ、ここで一つ言える事は
『勝っても負けても、それを引きずらない』
です。


私は近頃実践している事があります。

良い事があったり、素晴しい仕事をしたり、勝負に勝ったり
した時は、その日の次の日一日だけ喜びの余韻に浸り、
悪い事があったり、大変な目にあったり、勝負に負けた時には
その日に反省するだけして、悔やむだけ悔やみ
落ち込むだけ落ち込み、泣けるだけ泣いて床に付く。
次の朝には持ち越さないように。


つまり、勝ちは二日、負けは一日で終るようにしています。


そして、次に行くのです。

未来にはきっと勝ちも負けも、
良い事も悪い事もあるでしょう。

その事に一喜一憂するのは、普通の人間としてしょうがない
事です。

しかし、良い事も悪い事もそれに引きずられるのは、
反って未来への足かせになります。

どうしても引きずってしまうのは、その人がその状況が
”好き”なだけです。

良かった自分は郷愁でしかなく、
悪かった自分は悲劇のヒロインでしかありません。

良い事も悪い事も、すべて貴重な経験として自分の中に
取り込んで、次に行きましょう。



今いるその場所には、もう未来がありませんよ。

未来は次の場所にあるのですから。