皆さんも、生まれてから今まで、テストを数え切れないほど
受けてこられたと思います。

紙切れ一枚で自分を評価され、それによって人生も左右
されかねない残酷な面もありますが、自分の今の実力を知る
上においては、必要なものですね。

私は、今までたくさんのテストを受けましたが、二回のテストを
除いて、時間が足りなかった事はありません。

スピード属性が優れているからですが、ほとんどのテストは
間違っている、いないに関わらず、制限時間の半分から
3分の2で出来ていました。

時間が足りなかった、その二回ですが、
一つは、一年目の芸大入試の2次試験、5時間でフーガを書く
という対位法のテスト。

二つ目は、アメリカに留学する前に受けたTOEFLのテストです。

前者は凝りすぎてしまって時間が足りず、後者はそもそも英語が
分からん!過ぎたからですが。

しかし、今思うとスピードがある、という事は、テストに
おいては、随分有利な技ですね。

余った時間で、検算や見直しが出来るからです。
得しました。

こういうふうに考えると、一つの問題点が浮かび上がります。

もし反対に、すべてをゆっくりと深く考える人は、
このテストと言うシステムによって、相当、損をされてるのでは
ないだろうかと。

制限時間一時間くらいが、大体テストの時間ですが、
こういうタイプの人は、もっと何時間も必要で、
それだけの時間をかけると、もしかしたら100点を取れる
かもしれないのに、遅い、というだけでちゃんとした評価を
受けられない。

こうなれば悲劇ですね。

学校を卒業して世間に出ると、そんなに正解がインスタントに
出る問題なんて、数えるほどです。

むしろ、じっくり考えてから、自分なりの解答を出さねばならない
事ばかりです。

なのに、テストテストで毒された世代の人は、すぐに簡単な
答えを出そうとする。

テストの功罪ですね。

占いをすぐに信じ込んだり、人とのコミュニケーションも、
すぐに一般化して分かりやすくするのも、こういう心理から
かもしれないですね。

これからの世の中、スピードももちろん大事ですが、
ゆっくりじっくり深く物事を考えて、行動する事を
今まで以上に求められるようになります。

私は、日本の人材育成のためにも、安易なお手軽なテストは
控えるべきだと思います。


お勉強が出来るのと、頭が良いのは違う。

こんな言葉が、真理をついているのは、今のテストの
制度にあるのではないか、と思っています。