スティーリーダン「トゥーアゲインストネイチャーTwo Against Nature」 | Kenny@爺の人生イロイロ オヤジがウロウロ

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1972年にバンド結成しキンクス、エルトンジョン、ビーチボーイズ、ユーライアヒープ、ゲスフーなど前座をつとめていたが同年「Can't Buy A Thrill キャント・バイ・ア・スリル」と言うアルバムを発表。プロデューサーがゲイリー・カッツ、エンジニアがロジャー・ニコルズだった。レコード売り上げに欠かせないのがライブ活動だが、彼らはそれを嫌い、さらにニューヨーク育ちの彼らにはロサンゼルスの風土が合わなかったようだ。その後1年に1枚のペースでアルバムを発表して行く。以降のアルバムで、後にTOTOとして活躍するジェフポーカロやドゥービーブラザーズに参加するマイケルマクドナルドも演奏に加わっていた。
1973年 「Countdown To Ecstasy エクスタシー」1974年「Pretzel Logic プレッツェル・ロジックさわやか革命」、1975年ジェフポーカロも参加した「Katy Lied うそつきケイティ」、ここで、ピアノで参加しているマイケルオマーティアンは後にクリストファークロスの「南から来た男」をプロデュースして名声を高める。1976年 「The Royal Scam 幻想の摩天楼」、1977年「Aja 彩(エイジャ)」ではマイケルマクドナルドのボーカルが光る。彼らは結局1974年以降ライブを行わなかった。ジョエルコーエンマネージャーと決裂したのもその頃だ。

1980年「 Gaucho ガウチョ」を発表した頃からウォルターベッカーが麻薬におぼれ創作活動が出来なくなりグループとしては中断。
そして1982年ドナルドがソロで自伝的アルバム「ナイトフライ」を発表。このアルバムを聴いた評論家たちはウォルターがいなくても同じサウンドではないかと言う批判をしたが、本人たちしかわからないパートナーの存在は他人には知りえない事だ。1988年、ジャズボーカルの大御所メルトーメが63歳の時に発表した「リユニオンReunion」と言うアルバムの選曲には私はぶっタマゲタ。なんとこの「ナイトフライ」の中の「グッドバイルック」と「雨に歩けば」の2曲もカバーしているではないか!新しいもの好きのメルトーメの面目躍如だ。


ドナルドは1993年「カマキリアド」と言う素晴らしいアルバムを出すがこの時はゲイリー・カッツではなく、ウォルターベッカーがプロデュースした。そしてこれがきっかけでスティーリーダンが再結成された。ツアーも行った。
そして2000年発表した「Two Against Natureトゥーアゲインストネイチャー」が大成功をおさめグラミー賞年間最優秀アルバム賞などを受賞。確かこの時の賞のプレゼンターがスティーヴィーワンダーとベットミドラーだったような記憶がある。間違っているかもしれないが・・・。このアルバムの中の1曲「What a Shame About Me」と「Kamakiriadカマキリアド」の中の「Springtime」が凄く雰囲気の似た曲だと思う。そして2003年 「Everything Must Go エヴリシング・マスト・ゴー」がスティーリーダンの実質的に最後のアルバムになった。
ウォルターベッカーは2017年9月3日死去。満67歳没。極度に進行した食道癌の治療中にニューヨークの自宅で逝去したそうだ。これでコンビ解散となり、ドナルドフェイゲンはピン芸人?になった。
スティーリーダンはジャズテイスト溢れる超カッコイイグループだ。