ザ・バンドとウッドストック「The Weight」 | Kenny@爺の人生イロイロ オヤジがウロウロ

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1969年8月15日から3日間開催されたウッドストックロックフェスティバル30組以上のグループや歌手が出演し、推定40万人以上の観客を動員したこのフェスティバル。じつは開催されたのはアルスター郡ウッドストックではない。周辺住民の反対運動で、サリバン郡べセルと言う所にあるマックス・ヤスガーさんと言う個人農場主の酪農農場で開催された。開催は3日間と言われているが、大雨で途中中断があり、次の日の明け方に演奏された最後のジミヘンドリックスを見ないで帰った人が多かったそうだ。有名どころでは、ティムハーディン、アーロガスリー、ジョーンバエズ、サンタナ、マウンテン、グレイトフルデッド、クリーデンスクリアウォーターリバイバルジャニスジョプリン、スライ&ファミリーストーン、ザフー、ジェファーソンエアプレイン、ジョーコッカー、テンイヤーズアフター、ザ・バンド、ブラッドスエット&ティアーズ、クロスビースティルスナッシュ&ヤング、シャナナ、ジミヘンドリクスなど多彩だ。


ウッドストックと言えば、ザ・バンドが思い浮かぶ。1960年代前半ビートルズがデビューした当時、アメリカのロニー・ホーキンスと言うロック歌手のバックバンドをつとめていたのがザ・ホークス。その後紆余曲折があって、リヴォンヘルム、ロビーロバートソン、リックダンコ、リチャードマニュエル、ガースハドソンがメンバーになった。リヴォン以外はカナダ人である。しばらくの間あのボブディランがアコースティックからエレキギターに持ち替えてフォークロック路線を歩み出したころ、ザ・ホークスがバックバンドをつとめ、途中リヴォンヘルムが退団しミッキージョーンズが新加入した時期、たしか1966年であったがボブディランが交通事故を起こし、ニューヨーク郊外のウッドストックで隠遁生活を始めた。このころ退団したリヴォンも復帰する。ボブディランらが住む彼等の家はピンクのペンキで塗られており、「ビッグ・ピンク」と呼ばれた。そして1968年グループ名をザ・ホ-クスからザ・バンド(日本語で言えば「楽団」というちょっと人を小馬鹿にしたようなバンド名だ)と言うシンプルな名前に改め「ミュージックフロムビッグピンク」でデビューを飾った。アルバムジャケットボブディラン自身が描いたものである。しかし実際はこの家で録音されたのではなくスタジオ録音である。私はメンバーの中でリックダンコのベースが好きだ。素晴らしいベースラインと渋いボーカルが心地よい。この人の名前よく間違う。アルゼンチンのタンゴでもなく、岡山名物きびだんごでもない。断固反対!リックダンコ(Rick Danko)なのである。1986年にリチャードマニュエルが自殺。1999年にはリックダンコが病死。カナダ人中心のザ・バンドで唯一アメリカ人だったリヴォンヘルムが2012年癌で亡くなり、寂しい限りだ。