#福岡市博物館に展示されている金印です。およそ2000年前の輝きを放っています。

●金印1

 

●金印2

 

●金印3

 

●金印4

 

●歴史に記された「金印」(福岡市博物館展示)

 

●金印使用例(福岡市博物館展示)

 

●金印(福岡市博物館常設展示図録から)

 

定説では、「漢委奴国王」を「かんのわのなのこくおう」と読みます。明治25(1892)年、歴史・国語学者の三宅米吉氏に始まりました。奴国王に与えられたとする説です。一方、委奴国王=いとこくおう(伊都国王)と唱える考古学者の方も多くおられます。

 

また、冨谷至氏が著した「漢倭奴国から日本国天皇へ」(平成30年3月31日)において著者は次のような解説をされています。

「漢委奴国王」は漢書(東夷伝)の倭奴(わどこく)国(倭国=日本)であり「漢倭奴国・王」と読むべきだとされています。漢の倭奴国(倭国=日本)の王がもらったものだとされているのです。

 

●博多湾岸図(福岡市史から)

金印は江戸期に志賀島で発見されました。金印が発見されたとされる場所には金印公園が整備されています。

 

○金印公園

 

○金印公園頂上部から望む景観(中央:毘沙門山、左:能古島、右:前出・博多湾岸図の斜線の部分:糸島半島の福岡市西区の山々、柑子岳など)

 

○金印公園から望む能古島(左)と毘沙門山(右)

 

福岡市博物館展示の金印と志賀島金印公園からの景観をご案内してきましたが、福岡市博物館の常設展示室・最初の部屋には国宝の金印が静寂の中に重みある輝きを放っています。

この部屋に入ると、いつものことですがおよそ2000年前の輝きに魅了されます。