#2011年9月、福岡市西区元岡の元岡古墳群G群6号墳から金象嵌(きんぞうがん)「庚寅」銘大刀が出土しました。

○「庚寅」銘大刀(福岡市のホームページ)

福岡市史には、【「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」(□は錬?)(たいさいこういん かたなをつくる およそじゅうにかれん)の19文字が金象嵌で記され、銘文は前半が大刀の作成年月日を干支を用いて記され、60年毎の「庚寅」年のうち「正月六日」が「庚寅」である年は西暦570年に限定されることから、大刀が作成された年を特定でき、「十二果錬」の句は「刀を12本作成した」、「刀を12回鍛錬した」との解釈があり、文意が確定していない】と記されています。

 

古墳時代の金象嵌銘大刀としては埼玉県の稲荷山古墳に次ぐ2例目の出土例です。

国の重要文化財に指定されています。

古墳時代の銘文入りの大刀の出土例としても全国7例目、伝世品を含めても8例しかありません。

 

○元岡古墳群G群6号墳(円墳:以下G6号墳)

 G6号墳は7世紀初頭~前半築造とされています。

 

○元岡古墳群G群の位置①(前原市教育委員会作製を加工)

 G群は泊丘陵と隣接する元岡丘陵に築かれています。

 

○元岡古墳群G群の位置②(国土地理院地図を加工)

 

○元岡古墳群G群の配置(福岡市史から転載:上が北)

 G6号墳はG群の一番高いところに築かれています。G1号墳は方墳です。

 

○元岡G6号墳の立地(東からの遠景)

 左はG1号墳(方墳) 中央右寄りの高い処がG6号墳(円墳)

 

○G6号墳の立地拡大(東からの近景)

 左はG1号墳 右の高いところがG6号墳

 

○古今津湾跡地から見るG6号墳が位置する元岡丘陵と南に隣接する泊丘陵

 

○上の写真拡大→右の方、高台にG6号墳が見える。古今津湾跡地からの眺望。

 

G6号墳からの眺望:広がる古今津湾が見える場所です。逆に古今津湾に進入した舩からG6号墳が見えたことでしょう。

●今宿方面

 

●高祖山・日向峠方面

 

連接する泊丘陵には御道具山古墳(65m)と泊大塚古墳(78.4m)が築かれ、御道具山古墳は3世紀半ば、泊大塚古墳は6世紀の築造と推測されています。

○御道具山古墳と泊大塚古墳の形状(現地案内板)

 御道具山古墳の前方部には箱型石棺を主体部とする一辺14mの方墳(2号墳)

 

○東から望む泊丘陵(正面:御道具山古墳、右手:泊大塚古墳)

 

○上の写真拡大(正面:御道具山古墳、右手:泊大塚古墳(後円部)

 

投稿の締めくくりとして泊大塚古墳現地説明会資料を引用します。

(泊大塚古墳現地説明会資料)「泊大塚古墳は志摩半島の南東部、標高10~20mの舌状丘陵の先端に位置しています。同一丘陵南西側の竹林の中には御道具山1・2号墳があり、現状では泊大塚1基と御道具山2基の計3基を纏めて泊古墳群と呼んでいます。古墳群東側の丘陵下には現在、一面に低平な水田地帯が広がっていますが、ここは主に近世以降の干拓地であり、古墳築造当時は博多湾と繋がった今津湾がこの付近まで入り込んでいたと考えられています。」

○泊大塚古墳後円部からの景観

 

「古墳群はこの内湾を望む丘の上に位置しており、古墳の被葬者と海との深い関係が伺えます。 泊古墳群のすぐ北西にある元岡丘陵(現九州大学伊都キャンパスのある場所)には70基以上の古墳で構成された元岡古墳群が立地します。この中には西暦570年にあたるとされる「庚寅」を含む金きん象嵌ぞうがんの銘文が 19 文字入り、今、国の重要文化財に指定された大刀が出土した元岡G6号墳も含まれています。 このように泊から元岡にかけての一帯は、糸島地方を歴史を考える上で貴重な古墳の集中地帯であることがわかります。 」