#櫻井神社は糸島市志摩桜井(旧志摩郡)に鎮座しています。

(福岡NESWEBから一部加工して転載)「『櫻井神社』は、江戸時代前期の1632年に福岡藩の2代藩主・黒田忠之が建立した神社で、本殿と拝殿、それに楼門が国の重要文化財に指定されました。本殿と拝殿と楼門が一直線に並ぶ姿は建立当時の景観をとどめており、本殿には意匠を凝らした華やかな彫刻が施されているのが特徴です。」(注)加えて棟札7枚と古絵図も国の重要文化財になっています。

糸島市では、建造物としては「高祖神社の本殿」と並んで初めて国の重要文化財となりました。

福岡県神社誌には櫻井神社について次のように記されています。

「本社に奉祀する主神は、神直日神、大直日神、八十枉津日神の三柱なり。」
「社殿の後なる神窟に奉祀せる神は大綿積神なり、岩戸宮と崇称す。櫻井神社御縁記に依れば、後陽成天皇の御宇慶長十五年六月二日神窟の口始めて開け神の出現あり神威いやちこに霊験あらたなれば庶民の敬仰愈厚く国主黒田忠之に崇仰せられ神窟の前なる山を引き均して神殿拝殿楼門廻廊石鳥居神池御苑石燈籠等に至る迄全部造営せられ、金欄蜀江錦各一巻宝玉其他種々の宝物神馬等に至る迄奉納ありて実に宏大壮厳を極めたり歴代の国主亦尊崇深厚にして社殿の修繕は勿論神器神具祭祀料等一切寄進あり。以下、略」


○楼門

(九州の神社)「楼門は、三間一戸の構造で、本殿完成後間もなく拝殿とともに建造されたものと考えられています。屋根は銅板で覆われていますが、創建当時は瓦葺きであったとされています。正面に掲げられる扁額には「正一位與止姫大明神」とあり、享保元年(1716)に掲げられたものです。」

 

○拝殿

(九州の神社)「拝殿は、本殿とほぼ同時期に建てられたとされ、正面三間、側面三間の切妻造。現存する古絵図では、東側に入母屋造の張り出しがみられますが、現在は礎石しか残っていません。屋根には銅板が葺かれていますが、古絵図によると瓦が葺かれていたようで、昭和六年の屋根修理で葺き変えられたものと考えられています。古絵図との相違点はいくつかあるものの、ほぼ創建当時の姿を残しているとされています。」

 

 

○拝殿と本殿

 

○本殿

(九州の神社)「寛永9年(1632)の棟札が残る本殿は、豪華絢爛たる龍宮城を想わせる桧皮葺き三間社流造。切妻造、平入りの屋根に向拝を付け一流れにしており、流れと前流れが不均等になるのを、曲線を用いて均衡を巧みに保っているところに特色があります。正面は、三間、側面は一間、脇障子は板張りで、猪目懸魚の左右の巻き込みが大きいのは、後年の修理によるものとされています。極彩色豊かな安土桃山様式の彫刻があり、鮮やかな色彩が施され、当時の姿をよく残したものとなっています。長年の風雨によりかなり退色していたものを、平成3年(1991)から平成7年(1995)にかけての「平成御大典記念事業」により復元され、創建当時の姿に復旧されました。」

 

○岩戸宮(青色の垂れ幕の中)

 

○岩戸宮神殿(櫻井神社ホームページから転載)

 

○櫻井神社一の鳥居(西から)

 

○櫻井神社一の鳥居(東から) (注)神社本殿は中央の樹々の茂るところ

 

○二見ヶ浦の夫婦岩を祀る、櫻井神社の鳥居

 

今回は「櫻井神社の本殿、拝殿、楼門」が「高祖神社の本殿」と並んで昨年、国の重要文化財に指定されましたので、櫻井神社を記事として取り上げました。櫻井神社の「本殿、拝殿、楼門」は当時の優れた建築技術はもちろんですが、意匠の凄さに驚きます。