#志登神社から見る夕焼けがとてもきれいでしたのでお届けします。

○背振山系の山々(イト地域)

●西→南の風景:右から浮嶽(樹々の右、高い山)、羽金山(中央の高い山)、井原〈いわら〉山(電柱の直ぐ右の高い山)、雷山(井原山の右)

 

●東南の風景:右から飯場峠(中央から右寄り)、王丸山(中央)、日向峠、高祖山

 

○シマ地域の山々

●参道越しの風景:可也山(一の鳥居の右)、火山(標柱〈しめばしら〉の中)

 

●北の風景:泊丘陵(左手前)と元岡丘陵 天ヶ岳(中央遠くの尖った山)

 

●東の風景:左端が柑子岳、中央の高い山が毘沙門山、連なる浜崎山、右は今山

 

志登神社から見る夕焼けの美しさが届いたでしょうか。夕焼けの反対の山々も写真に収めました。古代人も同じような光景を見てどのように感じたか、知りたいところです。

志登神社には太陽観測の石が祀られていますが、どういう風に観測していたかは不明です。古代、志登神社の周りは内海であり遮蔽物が無ければ山々の見通しが良くて太陽観測の地に相応しかったのかも知れません。

○志登神社の太陽観測石

 

志登神社が鎮座しているのは古加布里湾奥部、志登本村の近くです。

○古代糸島地方の地形略図(前原市教育委員会作製を一部加工)

 

志登神社をご案内します。(神社は西向き)

●一の鳥居

 

●二の鳥居

 

●拝殿・正殿

 

●案内石板

 

●案内板

 

志登神社は案内石板・案内板をご覧になった通り、延喜式神名帳(西暦905年)に記載された式内社として知名度の高い神社です。ご祭神は日向二代火遠里命(ひおりのみこと:山幸彦)の妃・豊玉姫命です。

志登神社は泊〜志登の陸橋状の低地に鎮座しています。古加布里湾の奥部となり昔は海上から遥拝するようになっていたと案内板にあります。

因みに、火遠里命をご祭神とする神社は高祖神社(高祖山西麓に鎮座)で、不思議なことに高祖神社の正殿は乾(北西)に向いていてその方角には志登神社が鎮座しています。火遠里命が妃の豊玉姫命をいつもご覧になってお守りしているように思えてなりません。

○日向三代と神武天皇に至るまでの系図