#怡土城が築かれた高祖山(西から撮影)

高祖山の南(右)は△419.4と王丸山、その間が日向峠(V字に凹んだ箇所)

県道49号は日向峠を越えて大宰府に向かう古道です。

 

古代の糸島地方の地形略図です。高祖山の位置を確認して下さい。

(前原市教育委員会作製一部加工)

 

〇伊都国歴史博物館常設展示図録「伊都国」から怡土城関連を抜粋

①上空からみた怡土城の範囲と施設の分布(高祖山西斜面に築かれた怡土城には今も土塁や城門、望楼などの遺構が残されている。)②土塁③第5望楼の想定復元図④瓦葺きの復元⑤怡土城の近くで出土した鬼瓦

 

〇城門大鳥居口の石碑と案内板

 

〇怡土城と土塁線(伊都国歴史博物館展示)

 

〇西から見た怡土城(現地案内板)

 

この写真から土塁に設けられた城門(推定)の位置を左(北)から順次見てみます。

①染井口:高祖山の麓には県道56号、左端十字交差点を山に向かい樹々の切れる処

 

②大門口:染井口から右(南)に連なる土塁(樹々)が切れる処

 

③大鳥居口:右の方にみえる土塁(樹々)が県道56号に突き出る処

 

④伊勢城戸口:

大鳥居口前の県道56号を少し右(南)の行き土塁に沿う道を奥まで進んだ処

伊勢城戸口は下の三つが推定地です。

●推定地1

 

●推定地2

 

●推定地3

 

小城戸口は前述の大門口とされているようですが小城戸口があったとされる推定地は定かではありません。

 

通常、敵は城門からの突破を企てます。城門は脆弱なので最小限にする必要があります。怡土城土塁の城門もそのように構成されていたのでしょう。

(注)城門の名称は学術上付けられたものです。

 

追記

探索の途中、長老の方(91歳男性:明治5年生)とお会いして多くを学ぶことが出来ました。

小学生の頃に県道56号が開通したとのことでそれ以前の旧道を教えて頂きました。

旧道は高来寺の老松神社から坂道を少し上ったところにあり神社前には小道があったそうです。県道56号は昭和初期に開通したことも分かりました。

土塁上に鎮座する老松神社です。(幟立てに正対して撮影)※此処は城門ではありません。

 

教えて頂いた旧県道に行ってみます。

 

右(南)に行く道は土塁の上にありました。左(北)に行く道は山道です。

 

北に向かう道は尾根越えです。

 

高祖山の西側麓を南北に走る県道56号は昭和初期に開通しています。

大門と高来寺の間は直線となっています。(上:大門から 下:高来寺から)

 

吉備真備が築いた怡土城を探索すると、先人の気概をいつも感じます。怡土城が残した遺構は、現代に何かを伝えてくれているような気がしてなりません。