禅を世界に広げた人に
鈴木大拙 (すずき だいせつ)
という人がいます。
アバタローさんの本の紹介で
初めて知りました。
出光佐三
(海賊と呼ばれた男)
西田喜多郎
(哲学者)
とも交友があった人で、
なかなかの人物のようです。
東洋哲学でいう
「悟り」とは、
解放、自由を意味しますが
英語で言うところの
liberty(リバティ)、freedom(フリーダム)
とは、全く異なる概念だと言われます。
西洋と東洋の
「自由」の意義の違いです。
もともと「自由」という文字は
東洋思想の特産物で、
西洋的な考えは、ないのだそうです。
西洋からfreedom(フリーダム)という
言葉が入ってきた時、日本の学者たちは、
それに当てはまる言葉がなくて
古典を漁った結果、
仏教の言葉の「自由」を当てはめたそうです。
大拙さんの考えでは、
西洋における自由とは
自分を縛る対象から逃れる、解放される、
という意味があり
否定性、消極性が含まれているそうです。
一方、東洋の自由はどうかと言うと
自(自ら)に由(よる) と書きます。
自ずから出るもの、
といった積極性を
意味しているのだそうです。
大拙さんが語る、
自由の本当の意味は
松は竹にならず、
竹は松にならず、
という言葉を例に出して
説明されています。
松に竹のように生きなさい
と言ってもそうはならないし、
竹に松のように生きよ、と言うのは
要らぬお世話だ、と言われています。
松は松として、竹は竹として、山は山として、
拘束なく、自分が主人となって働く、
これを自由と言うのだそうです。
そのものが、そのものとしてあること、
自分自身の本質に従い
自分の意に即して
自然のままに生きること
そして、
自由はわがままとは違う、
という事も言われています。
自制を欠いた自由は、自由ではないのです。
自分の本質を見つめること、
鳥が空を飛ぶように
魚が水の中を泳ぐように
一点たりとも努力の跡や
苦労の感情があってはならない、
と、大拙さんは言われています。
本来、自由って、
そんな、伸び伸びしたものですよね。
それじゃ〜私も、
この世界の空間の中を、
努力も苦労もなく、
ビュンビュン飛んで
スイスイ泳いで
いくとしましょうかね〜!(^^)
【自由に生きる】