こちらの品、記念切手の初日カバーのように見えますが、違います。
切手の発行は1983年で、記念印(消印)は「28.10.91」(1991年10月28日)となっています。
切手の発行国はチェコスロヴァキア。
背景として「プラハの春」を知る必要があります。
1968年にチェコスロヴァキアでは「プラハの春」と呼ばれる市民運動が起きました。
政治の自由化を求める市民運動です。
1968年1月5日にアレクサンデル・ドゥプチェクがチェコスロヴァキア共産党第一書記に選ばれた時から始まりました。
「人間の顔をした社会主義」を求めての運動です。
これに対するソ連のブレジネフ書記長の回答は、戦車を差し向けるといったものでした。
1968年8月20日、ソ連はワルシャワ条約機構の50万人規模の軍隊と戦車を送り込み、チェコスロヴァキアを占領しました。
1989年の天安門事件の20年前に、同様の事態が起きていたのです。
しかも同じ東側陣営の独立国に対して。
翌8月21日、ドゥプチェクは逮捕され、モスクワに連行されます。
この後、ソ連軍はチェコスロヴァキアに23年間も駐留します。
つまりチェコスロヴァキアは独立国というより、ソ連の軍事的支配下にあったのです。
時は流れ、ブレジネフが1982年に亡くなり、その後アンドロポフ、チェルネンコといった老齢の後継者が相次いで短期間で亡くなり、1985年にゴルバチョフが書記長の座に就きます。
1989年6月に中国で天安門事件が起きますが、その年の11月9日にベルリンの壁が崩壊し、12月25日のクリスマスに、ルーマニアではチャウシェスク大統領が民衆の手で処刑されます。
これらの事態が起きてから2年後の1991年6月30日、チェコスロヴァキアに「駐留」していたソ連軍はようやく撤退しました。
その2か月後の1991年8月19日、昔のソ連に戻したい軍や政治グループにより、ソ連でクーデターが起きます。クーデターは失敗に終わり、8月28日にはソビエト共産党の活動は停止、ソビエト連邦の事実上の崩壊です。
これらを踏まえ、このカバーを見てみます。
切手は、チェコスロヴァキアの画家ヴァーツラフ・ブロジック(1851-1901)が描いた「プラハのシンボル」
記念印には「国家解放記念碑の除幕式」と書かれています。
そして日付は1991年10月28日。
その日を選んで、「国家解放記念碑の除幕式」の式典を行った、その記念の消印付カバーです。
本来の意味で独立したチェコスロヴァキアを祝いたかったのです。
この2年後の1993年、チェコスロヴァキアはチェコ共和国とスロバキア共和国に分離してしまうのですが。