反乱する軍隊 | ケネディスタンプクラブ日記

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今回は、軍隊の反乱のお話です。

この切手をご覧ください。
1976年にイギリス領ピトケアン諸島が発行した「アメリカ独立200周年記念」の切手です。


アメリカ独立200周年記念 切手2種連刷2組セット イギリス領ピトケアン諸島発行 | 切手,オセアニア | 趣味の中古切手や紙幣・硬貨の販売と買い取り|ケネディ・スタンプ・クラブ (kennedystamp.jp)



イギリスから見ればアメリカ合衆国の独立は植民地の反乱でしかないのですが、カナダを含めてイギリス連邦の国々はイギリスの感情にそこまで付き合う義理を感じていないらしく、割と多くの国々が独立記念切手を発行しています。

それらの中でもこの切手がユニークなのは、「アメリカ独立」というより「イギリスへの反乱」の色合いが濃いからです。
4枚の切手は、船と人物が2種ずつ。船の1つはメイフラワー号。イギリス国王ジェームズ1世の弾圧から逃れたピューリタンたちがアメリカへ渡った時の船です。
そして人物の1人はジョージ・ワシントン。アメリカ独立戦争の指揮官にして初代大統領です。
この2枚だけならアメリカ建国を代表する人と船だなで終わるのですが、残り2枚がバウンティ号とフレッチャー・クリスチャンとなると、意味合いが違ってきます。
バウンティ号は、イギリス軍が保有していた武装ありの船でしたが、1789年に船員たちが反乱を起こして奪ったのです。そのリーダーがフレッチャー・クリスチャンでした。
船長以下19名を救命艇に乗せで追放したバウンティ号は、反乱を起こしたフレンドリー諸島からタヒチ、フィジー、クック諸島を抜け、ピトケアン諸島へ逃げ込みます。ここは当時イギリスには未発見の島であり、イギリスから出た追跡艦隊も知る由もなく、クリスチャンたちは見事に逃げ切ることに成功しました。

それから20年近く経った1808年、偶然通りかかったアメリカの船が、バウンティ号乗組員とポリネシア系住民との間に生まれた20名以上の子供たちを発見します。
バウンティ号の反乱事件は、逃亡に成功した事もあり、いくつもの文学作品になり映画にもなりました。

さて、実はもう1件、映画にもなった有名な軍艦の反乱事件があります。
それが、戦艦ポチョムキン号の反乱です。
名前を聞いたことのある人も多いのではないかと思います。



時代はバウンティ号の子供たちが発見されてから約100年後の1905年6月、帝政ロシアの戦艦ポチョムキンで反乱は起きました。
武器を取った水兵たちが士官に反乱し、バウンティ号の時とは違って、憎まれていた士官は追放ではなく射殺されました。

この反乱から3カ月後、ロシアは極東における戦争、つまり日露戦争に敗北します
そしてこの「下層の兵士たちが上官を殺害して軍艦を奪った事件」は、共産革命のシンボルとなり、既にガタガタになっていた帝政ロシアの崩壊を加速させることになるのです。

先日、2022年9月21日、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナとの「特別軍事作戦(戦争ではないらしい)」のために、動員令を発表しました。
これを受けてロシア各地で動員への反対集会が開かれデモや暴動が発生。徴兵事務所への放火も2桁の勢いで起きています。
現在ロシア当局は反対集会参加者や国外へ脱出しようとした者達を片っ端から捉えてそのまま軍隊に組み入れようとしています。

ロシアは、政府に不満を持つ者達を集めて武装を与えるという事を実行中なのです。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、24日にロシア語で、ロシア兵に「文明的な待遇を保証する」と、投降を促す演説を行いました。
近いうちに、第2のポチョムキン号が発生するかもしれません。

なお、反乱を起こした戦艦ポチョムキン号は、ロシア革命が起きたりと紆余曲折あった後、1918年にボレーツ・ザ・スヴォボードゥ号と改名して、ウクライナ人民共和国海軍の所属になりました。