札幌の日本臨床スポーツ医学会の学術集会に来ている。非常にマニアックなスポーツ医学領域の最新の知見を得るため、また日本体育協会スポーツドクターの更新の為に参加している。




数々の専門医を更新せずに失くして来た身としてはもうこれ以上の資格喪失は許容できない。医者はだいたい忙しい人が多いが、年に何回の学会参加くらいもしていない医者が最新の医学に触れているかというと非常に怪しい。今後医師免許が更新制になることがあれば最低限の学会参加と聴講は必須になるのだろう。僕は経営者になってからもう医師免許以外何もいらないと思っていたが、この大事なことに気づいてからとても反省した。




と言いながらも、今回はどこに行っても歴史博物館とか記念館の類に行く男、専門外でも問題解決に知恵を利かす男、学会はランチョンセミナーとポスターセッションでノベルティはしっかりもらう男。そして患者のふりをして病院に乗り込み医者を値踏みする男の旅であった。







駅前一等地にある医療機関は大した医者じゃなくても患者が来る可能性が高い。逆に便の悪いところにある所はいい医者がいないと患者が来ない。と言うことは一般的に駅前なのに人がいないクリニックは何かの問題があり、変なところなのに混んでいるクリニックは医者が優れている可能性が高いということだろう。


医者という生き物は、俺くらい素晴らしい腕があればどんなところに施設作っても患者が来るはずだと思ってしまう。これが間違いで、患者はそんなものを望んじゃあいない。学術、技術的に普通に良い医者と、凄い医者になるための道はその通り凄く差があるが、殆どの患者にとって、その差はほとんどないものだ。むしろ凡人にとって患者にとっては、患者のためにいかに良医になるかを追求する以外に生き残るすべがない。その努力さえしない医者でも普通に飯が食える状況もよろしくないのだが、いずれ是正されて食えない医者が生まれて来ることを期待する。


最新医学の研究や機材の開発をする天才医師達のその努力と功績には常に尊敬の念と感謝を持っている。しかし、彼らはその知識や機材の使い方に慣れるようとしないことが多い。と言うより、時間だけは万民に公平なので、両立は難しいのだろう。


あたかも銘刀を作る職人に名だたる剣士いないことと同じだ。その方法は全く違うものだ。