9月22日(木)【10:36】
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。ねー、
今日は、遅くなるの?」
ちゃんと隠し通せる自信がなかったから
できるだけ、顔を合わせないように
通り過ぎた私の背中に
オンマの声が追いついた。
「んー・・晩ゴハンまで
食べてくるかな」
「そ・・わかった。帰る時は、
連絡ちょーだい」
「ん、じゃあ」
「ソヒョナ」
「何?」
いつのまにか、真後ろにいたから
振り返らざるえなかったけど
できるだけ視線は外した。
「カケル君と何かあったの?」
・・・・。
「べつに、何も。なんで?」
「元気ないような気がして」
「そ?あー・・夏バテかな」
「ソヒョナが?」
・・・・
「私だって夏バテぐらいするよ」
「それは失礼しました」
「じゃあね、行ってきます」
「気を付けて」
外に出たとたん、息をついた。
うん、ちゃんと笑えた
・・・・と思う。
でも、
目の前に広がる景色は見たくなくて、
別に急ぐ必要もないのに
バス停までの道を走ってしまった。
あの電話の後、
ぽっかり空いた穴。
“愛してる”が
砂のようにサラサラと流れて
でも、オンマにもハルモニにも
話せなかったのは、もちろん、
心配させたくないのもあったけど
“距離は簡単に人の気持ちを変える”
そう言っていたオンマに
“やっぱりね”と
言われたくないとも思ったし、
悔しいけど
カケルの事・・
悪く言われたくないって
そう思ってしまったから。
私にプロポーズまでしといて
手近の女の子好きになって
私を振った人なのに
それでも・・
あの電話の時、
もっと、文句言えばよかった。
もっと、ひどい言葉を
聞けてたら、
簡単に嫌いになれたかも
しれないのに・・。
とか考えながら走ったら、
予定していたバスより1本
早いのに間に合ってしまった。
あ~ぁ・・
・・やっぱり、家にいたら
よかったな。
バスに乗っても、
見える景色にカケルが映りこむ。
♪♪♪
あ、
『着いたよ~、中で待ってる』
早・・もう着いたの?
約束11時半なのに
画面の上、指を動かす。
『11時すぎに着くよ。待ってて』
“OK”のスタンプが
すぐに入ってきた事に口元が緩んだ。
画面の上に並ぶ名前を
1度なぞる。
友達になったばかりの“同級生”。
彼女との出逢いは、5月に開かれた
国際花博覧会だった。
あの日、私は
会場の一区画に“造られていた”
花の風景に動けなくなっていた。
今まで、花束やアレンジメントも
形に当てはめて、それを綺麗だと
思っていた私の目の前に
広がっていたのは、
古びたアンティークの家具達。
錆色の取手がついたチェスト。
背もたれにブランケットがかけられた
1人がけのソファ、
座面には読みかけの本が
開いて置かれていた。
アンティークの家具なんて
1度も使った事がないのに
なぜか懐かしさまで感じさせたのは
その周りに並べられた草花が
あまりにも“自然”で
置かれた人工物の時間を
ゆっくり進めたように見えたから。
無言の花が持つ力に
私は、また胸が震えた。
こんな世界があったんだ・・。
どのくらい、立ち止まっていたのか
わからないけど、ふと、隣を見た時、
“彼女”もこっちを見た。
なんとなく
年が近いような気がしたけど
それは、向こうも同じだったのか
「すごいね」
ため口だったから
「うん、すごいね」
普通に返した。
私の言葉に嬉しそうに笑って
頷いた彼女は
「キム・イェウォン」
と名前を教えてくれたから
私も答えて、
そこから、会場を一緒に
回る事になった。
そんな彼女とは
同じモノを見て同じ状態に
なっていただけあって
話しが尽きずに
一気に距離が近づいた。
時間が合えば、
ゴハンに行ったりしてたのが
休みを合わせて、
ワークショップに行ったり
するようになって、
先月、カケルの事を
彼女にだけは話せていた。
“すぐに、そっちに行くから”
私の答えは待たずに切れた電話。
その後も止まらない涙に
しばらく顔を覆っていたけど
“すぐ”と行った割には時間が
かかってる気がして、
鼻をすすりながら電話をすると
『ねー、ここどこ?』
結局、迎えに行く事になって
でも、そのおかげで
少しの間、
涙は止める事ができた。
ふいにくる感情の波に
涙を止められなくなった時、
「水分補給しながら泣くんだよ」
と、スポーツドリンクを
用意して家に泊めてくれた。
そんな彼女から
今日から公開の映画を見に行こうと
誘われたのは2日前。
まだ、あんまり外に出たくないと
答えた私に
「わかった、わかった。
じゃ、11時半ね」
と・・。
ガタンっ、
わっ!?
荒い運転のせいで
ガクンっと視界が揺れた瞬間、
“なんで、こんなに荒いの?”
聞こえた声。
・・・・。
一緒に乗る度に、
不満そうな顔をした。
まだ聞こえる声、
まだ見える姿、
私の景色から
一瞬も消えてくれないカケルに
目の前を薄い膜が張る感覚がして
慌てて唇を噛んだ。
