6月1日(月)【14:00】

 

Jiu >

 

 

「はい、終わりましたよ。

セヨンさん」

 

首まわりにかけていた

ケープを取ると

鏡に映った自分に

手を伸ばし始めた。

 

すぐに

後ろから声がかかる。

 

「セヨナ、よかったなぁ。

すごく、キレイだ」

 

そう言いながら、女性の手を

取った男性に視線が移る。

 

少しの間の後、

 

微笑んだ彼女が口を開いた。

 

「おかえりなさい。アッパ」

 

・・・・。

 

「・・ただいま、セヨナ」

 

優しく髪をなでるのは

彼女のご主人だった。

 

今日は、2ヶ月に1度の訪問美容の日。

 

私がグループに入る前からずっと

続けられているこの活動は、

高齢者施設のご入居者様に無料で

メイクをするというもので、

 

私が大好きな活動の1つだった。

 

メイクの力を実感できるから。

 

 

メイクが終わった方は

必ず笑顔になる。

 

いくつかの施設を回るが

施設によっては、この後に

外出行事を行ったりするので、

それを手伝う時もある。

 

今日の施設は、私が

初めて、ご入居者様に

メイクをした場所で

イ・セヨンさんは、

その時から、ずっと

担当させてもらっていた。

 

働き者で、仕事で家を空ける事が

多かったご主人に代わって、

家を守り2人の子供を育てあげ、

子供が結婚しても、

生まれてきた孫の世話や

地域活動にも積極的に

参加していた彼女は

 

“忙しくしてないと

ボケてしまうから。

それに、すごく幸せよ”

 

そう話しながら、

少しずつ増えてきた

ご主人との時間も楽しんでいた。

 

アルツハイマー病と

診断されたのが79歳。

 

症状の進行は早く、

自宅での介護が難しくなって

入所する事になった。

 

彼女と初めて会った日

 

“久しぶりね、元気だった?”

 

そう言って、抱きしめられて

どう返していいか

わからなかったけど

 

職員さんや、ご主人に聞いたり

勉強して、コミュニケーションを

とるようにした。

 

中学時代の友達、娘の同級生、

家の近所の女の子、

会う度に私の役は変わるけど

私が来たら「メイクをする」

という事は覚えているらしく。

実際、メイク途中に

嫌がったりする事は

全くなかった。

 

そして、毎日のように

面会に来るご主人は

 

変わる事なく

 

「アッパ」だった。

 

少し淋しそうに、

それでも嬉しそうに笑う

ご主人が髪を撫でて

「キレイだよ」

と言うと嬉しそうに笑う。

 

それから・・

 

 

 

 

みつかった

 

 

セヨンさんは、恋をしている。

 

 

 

 

 

 

Lさんに。

 

 

不思議な事に、これは、ずっと

変わらない事の1つだった。

 

ご主人の前で

 

隠れていたはずのLさんに

 

「会いたかった、オッパ」と

 

抱き着いている。

 

 

ご主人曰く

 

「セヨンイは、イケメンが

好きだったからな」

 

だそうで。

 

実際、訪問の日は、

本名の<チョン・ウジン>に戻るLさんは

長い髪を1つにまとめて

白いシャツに黒いパンツを穿く。


言葉づかいや所作も

気をつけていた。


もともとスタイルがいいLさんは

普通に “イケメン”。

 

 

当の本人は

 

「最近、昔の自分を

忘れかけてるから、

思い出すのが大変」

 

とか言っていたけど。

 

でも、施設の職員さんに

聞いた事があった。

 

私達が来る日は、休みでも

出勤する職員が増えるそうで

その理由は、明らかにLさんだと。

 

アイドルみたい

 

 

セヨンさんに抱き着かれて

困ったように笑うLさんに

みんなの視線が集まる。

 

 

 

女性として生きていく事

 

Lさんは、

「自由になった」と笑うけど

 

私にだってわかる。

 

この国で、そうして生きる為には

たくさんの傷が生まれる事。

 

その傷を受け止めて

ようやく自由になったLさんが

自分を偽って過ごしていた

“チョン・ウジン”に戻るのは

 

“男性がメイクに携わる”事より

“男性が女性として生きる”事に

嫌悪感を抱く人が多いから。

 

でも、自分への理解より

目の前の人にメイクの力で

笑顔になってもらう事を選べる

この人を心から尊敬した。

 

「こら、セヨナ、離れなさい」

 

ご主人が、2人に近づいて

芝居がかった声で言葉をかける。

 

「アッパ~、私は、この人と

結婚するの」

 

「アッパは、そんな男許さないぞ」

 

「いやよ、私は、この人がいいの」

 

「ダメだ、お前には、もっと

いい男を紹介してやるから」

 

「セヨンさん、ごめんね。

僕も好きな人ができたんだ」

 

セヨンさんの腕を

優しくほどきながら

Lさんが声をかける。

 

「そうなの?・・ん~、アッパ、

その人は、この人よりかっこいい?」

 

「もちろんだ」

 

「名前は?」

 

「キム・テオだよ」

 

自分の名前を伝えるご主人に

 

少し不思議そうな表情をして

 

「聞いた事がある名前。

もしかしたら、私の

運命の人なのかしら」

 

と答えるセヨンさん。

 

 

毎回、繰り返される

このやり取りに、みんな笑って

 

私は、少しだけ

胸が苦しくなった。

 

まだ、ご主人だとわかる時が

あるけど、それも以前より

減ってきていると聞いていたから。


少しずつ2人の距離を

星の川が離していく。

 

もう少しだけ。

 

2人の伸ばした指先が

触れ合う時間が

続きますように。

 

 

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