【14:13】

                

 ◇ Blue

             

救急車が到着した。

 

彼女を離したくなくて抱きしめ続ける

僕を無理矢理引き離す。

 

ナイフを持った女性は、

とり押さえられていたけど、

なぜ、自分が押さえつけられているのか

わかっていない様子だった。

 

扉を閉めようとした

救急車に乗り込もうとした時、

僕を引き留めるように

チーフの手が伸びてきた。

 

僕は、振り向く事もなくつぶやく。

 

「僕が間違っていた。

彼女がいない世界にはいたくない」

 

チーフは、1度手を離して

一緒に乗り込んだ。

 












            

   

 

 

着いたERの出入り口。

待ち構えていた先生と看護師さん

みんな早口で話しながら

彼女を乗せたストレッチャーを

そのまま、手術室へ運んだ。

 








病院に行く途中、

彼女の心音が1度消えた。

 

 

 

 「テヒョンア、座って」


聞こえた声に

身体は、素直に動いた。


 

 

 

 

 

 

僕は何をしていたんだろう。

どうして忘れようなんて思ったんだろう。

 

なぜ、そんな事で

彼女を守れると思ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

救急車の中で見た、一直線の青いライン。

 

昔、青色が苦手だと言った僕に、

“青い髪、すごく似合ってたのに”

と笑った彼女が言葉を続けた。

“じゃあ、私が身に着ければ

好きになるでしょ”

 

クローゼットには、

青色の洋服が増えていった。

夜を怖がる僕を

守ってあげると抱きしめてくれた。

彼女は赤色が苦手だったから、

僕はできるだけ、赤色の洋服を着た。

            

   

 

 

 

 

「テヒョンア、

手を洗いに行きましょう」

 

・・・手


視線を落とすと

両手が赤く染まっていた。

 

・・ハナの。

 

1度首を振った僕を

腕を引くように立たせたチーフは

少し前にあったトイレに向かった。

 



 

 

擦り会わせる手から溢れる

水は薄く赤い色をにじませる。

 

・・・。



夢だ。

 

強く両手をこすり合わせる。

 


 

この色が消えれば、

僕は目が覚める。

きっと悪い夢なんだ。

 

 

手が綺麗になった。

少しホッとして顔を上げる。

 

鏡に映った僕の顔。

左頬、彼女が右手を添えた痕、

赤い血がついていた。

 

!!っっ

 

急に吐き気が襲ってきて

咳き込む僕の目から涙が溢れた。

              

 

 

 

 ~・~・~・~

 

 

どれくらい時間が経っただろう。

もう、時間の感覚がない。

 

通路の白い壁。

映写機で写し出されるように

彼女の笑顔が浮かぶ。

 

からかう僕に真っ赤になった。

しつこく呼ぶ声に

眼鏡を外して諦めたように笑う。

日本の歌を歌う優しい声。

ご飯を食べる僕を、

頬杖をついて嬉しそうに見ていた。

僕達の歌を鼻歌で歌うようになった。

小説の事を考えている時は、

両頬を膨らませる。

洗濯物を畳みながら、

コーヒーを入れながら

頬を膨らませる彼女が愛おしかった。

日曜日の朝、集中できたのか、

夜通し書いていた彼女は、

眼鏡をしたままベッドへ戻ってきた。

ずれた眼鏡をそっと外すと

くすぐったのかフフと笑って

子供のように眠りに落ちた。

 

朝も夜も太陽も月も、

僕の世界は、ここにあった。

 

ハナ、

君がいないと、何もできない。

ねえ、息が苦しいよ。

早く、戻ってきて。

             

「テヒョンア・・」

 

チーフの声に顔を上げる。

手術室からでてきた先生が、

僕達を交互に見た。

              

「大丈夫です。出血は止まりました。

・・命に別状はありません」

 

短く息を吐いて、

無意識に息を止めていた事に気づいた。

 

次の瞬間、

床に引っ張られるような感覚になった。

膝から下に力が入らない

僕の身体をチーフが支える。

 

「ですが・・」

 

口を結び、また僕らの顔を交互に見る。

 

「ご家族の方は?」

 

家族・・

             

「僕が、僕が聞きます。

彼女は僕の大切な・・」

 

先生は少し考えた様子だったが

首を振った。

             

 「ご家族の方でなければ

お話はできません」

 


            

 

 

 

 

「彼は夫です」

 

 

・・・。

 

マネージャーが1枚の紙を

先生へ手渡した。

 

これ・・

 

僕が社長に預けていた

【婚姻届け】だった。

 

 

もう捨てられたと思っていた。

 

先生は紙に目を通す。

 

「そうですか・・」

 


少し考えた様子の先生は

また、こっちを見て


             

「他にご家族の方は

いらっしゃらないんですね?」

  

念をおすように聞いてきたけど          

 視線はそらさず、はっきりと答えた。

 

「はい、僕だけです」

 

 

 

僕しかいなかったのに・・

             

 

 

 

 

 

 

 通された診察室。

 

少し、言葉を探すような仕草をしたが、

彼女の傷の状態。手術の内容を

丁寧に説明してくれた。

 

幸い、傷は深くなかったと。

何かが、矛先を変えてくれたのでは

と言われた。


何か・・って


机の上に出された1冊のリングノート。

 


よく見ると、ノートの右上が

何かに削れたようになっていた。

             

 

「これ・・」

             

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・母子手帳です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭が真っ白になってしまった。

 

 

ハナが、妊娠・・

 

 

 

 

 

ノートから視線を外せないまま

どうにか声を出す。

             

「あの・・、じゃあ、

今、彼女のお腹の中には・・」

 

僕の言葉に

先生は、視線を落とした。

             

 

「臓器への傷は浅かったが、

出血が多すぎました。

・・彼女しか救えなかった」

 

 

 ・・・。

 

 

 

 

言葉がでなかった。

 

気持ちが追い付かない。

             

 

「大丈夫ですか?」

 

僕は、どうにか頷き

説明を聞き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

診察室を出ると、

父さんと母さんがいた。

 

 

「テヒョンア・・」

 

母さんの声が聞こえた瞬間、

膝から崩れた。

 

父さんと母さんが

僕を抱きしめる。

 

 

僕は、彼女が守ってきた母子手帳を

胸に抱きしめたまま、泣き崩れた。