ローマ帝国とパレスチナ人の関係史ローマ帝国(紀元前27年頃~476年)とパレスチナ地域(現在のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン西部など)の関係は、紀元前1世紀から数世紀にわたり、征服、支配、反乱、文化的変容の連続でした。パレスチナ人は主にユダヤ人(古代イスラエル人)を指し、当時の住民はヘブライ語を話し、ユダヤ教を信仰していました。以下に時系列で主要な出来事をまとめます。1. ローマの征服(紀元前63年)
- ローマの将軍ポンペイウスが内乱中のユダヤ王国(ハスモン朝)を征服。
- パレスチナはローマの属州「ユダヤ属州(Provincia Judaea)」となり、ヘロデ大王(紀元前37~4年)がローマの傀儡王として統治。
- ヘロデはエルサレムの第二神殿を拡張したが、ローマへの重税と異教文化の押しつけが住民の不満を募らせた。
- ローマの宗教干渉と重税に対する大規模反乱。
- 皇帝ネロ派の将軍ウェスパシアヌスと息子ティトゥスが鎮圧。
- 70年、エルサレム陥落:第二神殿が破壊され、数万人が殺害・奴隷化。ユダヤ人の国家は事実上消滅。
- マサダの戦い(73年):最後の抵抗拠点が陥落、960人が集団自決。
- 皇帝ハドリアヌスがエルサレムをローマ風都市「アエリア・カピトリナ」に改築し、ユダヤ教儀式を禁止。
- シモン・バル・コクバ率いる反乱軍が一時独立国家を樹立。
- ローマ軍58万人が動員され、反乱鎮圧。ユダヤ人58万人以上が死亡、数百の村落壊滅。
- ハドリアヌスは「ユダヤ属州」を「シリア・パレスティナ属州」に改名(パレスチナの語源は古代の「ペリシテ人」から)。
- ユダヤ人はディアスポラ(離散)が加速。ガリラヤ地方に残ったユダヤ人はミシュナ(口伝律法)を編纂し、ラビユダヤ教を確立。
- ローマはキリスト教を313年(ミラノ勅令)で公認、380年(テオドシウス1世)で国教化。パレスチナはキリスト教聖地(ベツレヘム、エルサレム)として重要に。
- ユダヤ人は重税と差別を受け、人口は激減。
- コンスタンティヌス1世がエルサレムに聖墳墓教会を建設。
- ユダヤ人はサマリア人反乱(529年)などでさらに抑圧。
- 614年、ペルシア・ササン朝が一時占領しユダヤ人を支援したが、629年にビザンツが奪還。
- 文化的変容:ローマは道路、水道、都市(カイサリアなど)を建設。ラテン語・ギリシャ語が公用語化。
- 宗教的遺産:ユダヤ教のラビ伝統、キリスト教の聖地化。
- 現代的文脈:ローマの「パレスティナ」命名は、今日のパレスチナ問題の歴史的ルーツの一つ。
時期 | 主な出来事 | 影響 |
|---|---|---|
紀元前63年 | ポンペイウス征服 | ローマ属州化 |
66~73年 | 第一次ユダヤ戦争 | 神殿破壊、ディアスポラ開始 |
132~135年 | バル・コクバ反乱 | 「パレスティナ」命名、ユダヤ人壊滅的打撃 |
4世紀 | キリスト教国教化 | パレスチナがキリスト教中心地に |
