平安時代に作られた「源氏物語」。紫式部が執筆してから多くの人が内容に魅了されてきて、今でも国内外を問わずに読まれる方もいると思います。
源氏物語の作者・紫式部が生涯でただ一度だけ都を離れて暮らしたことがあります。越前国司となった父・藤原為時とともに訪れ、一年余りを過ごしたといわれています。これを記念してつくられたのが紫式部公園です。
公園内には金色に輝く紫式部の像が置かれています。
そして台座の部分には2種類のモチーフが刻まれています。
ひとつは越前国府(現在の越前市武生)に向かう紫式部他の姿です。
もう一つは越前国府より京の都に帰ってからの紫式部の姿で、紫式部日記が主題になっている様子です。
※武生での出来事などは源氏物語にいかされていると言われています。
◇紫式部公園の紹介サイト◇
紫式部公園ですが「池泉回遊式庭園」というタイプの日本庭園になっています。
越前国府というとそれなりの役人ですから、当時の平安貴族住宅の典型である寝殿造だったと思われるので、この公園では再現したんでしょうね。
寝殿造の特徴は月を愛でるために池に張り出したように建物が作られていることです。紫式部というと小倉百人一首にも登場して次の歌がとりあげられています。
”めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に
雲隠れにし 夜半の月影”
意味は「見たのは月であったのかそれすらわからないうちに雲隠れした夜半の月。あなたはそれと同じくらいあっというまに帰ってしまいましたね」。因みにここでいうあなたというのは男性ではなく実は姉の様に慕っていた女性の事と言われています。
★紫式部と武生★
実は武生という場所は「源氏物語ゆかりスポット」になっています。源氏物語宇治十帖と呼ばれる部分の「第51帖・浮舟」に次の様なことが書かれています。
"武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを"
現代語に訳すと「(たとえ浮舟が)武生の国府にお移りになっても、こっそりとお伺いしますから。」ということになります。母親との別れを悲しむ浮舟に対して慰めの言葉をかける母親。但し、浮舟は母親と再び会うことはできないんですよね・・・