[源氏物語関連] 鏡神社 【第22帖・玉鬘より】 | コンデジ片手に出かけよう

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源氏物語第22帖・玉鬘で登場し、ヒロイン玉鬘が願掛けをしていたとされる佐賀県唐津市にある鏡神社。現地では、松浦総鎮守鏡神社と呼ばれているようです。

 


都(平安京)からすると筑紫鏡神社はかなり遠く離れた場所。当然ですが紫式部は訪れたことは無かったでしょうけど、姉の様に慕う友人が都を離れてこのあたりに住んでいた関係で、文(和歌)のやり取りなどで鏡神社の情報を知ったと思われます。

※写真は、鏡神社にある紫式部の歌碑



物語では、ヒロイン・玉鬘は、乳母と共に都から九州へと移り、幼少の頃を鏡神社で過ごします。そして年頃になった玉鬘は、その美しさから求婚者が多く、玉鬘への愛の深さを詠まれた歌に「君にもし心たがはば松浦なる鏡の神にかけてちかわむ」とあります。

 

 

源氏物語に鏡神社が出てきた理由としては、姉のように慕っていた友人が筑紫松浦で亡くなったため都(平安京)に帰って来れなかったというのがあると思います。鏡神社の祭神・神功皇后が三韓征伐で勝利し凱旋してきた日本書紀での記事が一条天皇にも好まれると考えたのではというのがありますかね?
※源氏物語では、神功皇后関連の話題と推測されるストーリ背景が結構出てきています。



☆鏡神社公式サイト☆

 


<鏡神社の基本情報>
拝観時間:境内自由
拝観料 :無料
主祭神 :息長足姫命(神功皇后)、藤原廣嗣朝臣
創建年 :応神天皇の御世 (社伝) 
アクセス:JR筑肥線『虹ノ松原駅』 より 徒歩15分
住所  :佐賀県唐津市鏡1827



<参考情報:鏡神社の歴史変遷>
◎三韓征伐の際、神功皇后が鏡山山頂に戦勝を祈願して鏡を納めたが、その後この鏡が霊光を発したことから、それを聞いた神功皇后が自らの生霊を鏡に込めて祀ったのに始まると伝える。 
◎三韓征伐の帰途、神功皇后は当地で陣痛に襲われたが、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり、宇美の地にて無事に応神天皇を産んだという。このことから安産の霊験もあるとされる。

 ※写真は、鏡神社にあった由緒記



<参考情報:鏡神社の御朱印>
令和元年に訪れた時に鏡神社の御朱印を授かっています。