平野神社の北部に位置する第65代天皇・花山天皇陵。正式には「花山天皇 紙屋川上陵(かざんてんのう かみやがわのほとりのみささぎ) 」といいます。
<宮内庁の天皇陵紹介サイトでの案内>
■代 数 :第65代
■天 皇 名 :花山天皇(かざんてんのう)
■御 父 :冷泉天皇
■御 母 :贈皇太后懷子
■御 陵 名 :紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)
■陵 形 :方丘
■所 在 地 :京都府京都市北区衣笠北高橋町
■交通機関等 :市バス「わら天神前」下車 東へ0.2km
■陵印保管場所 :月輪陵墓監区事務所
<花山天皇陵の位置に関する考察>
藤原兼家の陰謀により在位期間2年という短命だった花山天皇。
最愛の女御・藤原忯子が懐妊するが、17歳で死去したことにショックを受けた花山天皇は出家退位しています。
退位後法皇として西国三十三所霊場の中興を行ったりしていますね。また、藤原道長が権力を握ってから花山法皇との関係性が深くなっています。
花山天皇陵の位置を当時の平安宮代理の位置などを考えると次のような降雪もできます。
◎平安宮代理の北東(天門)に位置する
◎北野天満宮・平野神社よりの平安宮内裏よりは遠い位置になる。
◎平安宮内裏と花山天皇陵の間には谷が深い「紙屋川』がある。
当時の平安京では天変地異や疫病蔓延の影響で混沌としていました。
陰陽道の考えでは「北東(天門)を鎮めると、その街は栄える」というのがありますので、花山天皇陵の位置は現在地になったでしょうね。