[光る君へ] 花山院跡 (花山天皇が出家退位後に暮らした場所) | コンデジ片手に出かけよう

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京都市民の憩いの公園・京都御苑内の南西部に鎮座している宗像神社。塀などに囲まれた境内の南部に「花山院跡」の石碑が有ります。


京都観光ナビでこの場所(宗像神社)は次のようにも紹介されています。
宗像三女神である多紀理比売命・多岐津比売命・市岐嶋比売命。北家藤原氏の祖、藤原冬嗣が795年(延暦14)桓武天皇の許しを得て、平安京の東西両市の守護神として福岡県の宗像神社を勧請したのが創ぼ祀とされ、その後冬嗣の自邸小一条第に移したと伝えられる。小一条第は花山院家が相続したことから同家が別当となる。



歴史・概略
◎平安時代中期、清和天皇皇子・貞保親王(870年~924年)が邸宅を構えたことに始まるとされる。
◎その後、関白・藤原忠平の屋敷となり村上天皇の中宮・安子(忠平の孫)の屋敷となった。
◎天暦4年(950年)、安子の産んだ生後2か月の憲平親王(冷泉天皇)の立太子礼が当屋敷で行なわれた。
◎冷泉天皇の子・花山天皇が出家後の後院とし、寛弘5年(1008年)、当屋敷で崩御した。追号は「花山院」。
◎その後、三条天皇皇后・藤原娍子、藤原頼通、師実、家忠へと継承されていった。家忠は花山院を称し子孫は花山院流と呼ばれ屋敷を受け継いでいった。



<参考情報1:花山稲荷>



<参考情報2>
京都御苑・宗像神社には「彼岸桜」があり、2024/3/30に訪れた時には満開でした。