[京都市上京区] 福長神社 (祭神:福井神・綱長井神・稲荷神) | コンデジ片手に出かけよう

コンデジ片手に出かけよう

私の旅の思い出を紹介します。


地元では「福長稲荷」ともいわれている福長神社(ふくながじんじゃ)。社名の「福長」は、福井神・綱長井神の神名によるもので、両神はいずれも井戸の神で、元は宮中の井戸を守護する神であったとされます。 


社伝では、天正年間(1573年-1592年)の豊臣秀吉による聚楽第造営または廃城の際に現在地に遷座したといわれ、1574年(天正2年)に織田信長が上杉謙信に贈ったとされる狩野永徳筆の「洛中洛外図屏風」では、すでに現在の場所において福長神社が確認されています。



<京都観光ナビのサイトでの記載>
福長神社は福井(さくいの)神,綱長井(つながいの)神,稲荷神を祭神として祀る。社名は,福井,綱長井の二神を合祀することによるが,稲荷神も合祀することから「福長稲荷」とも呼ばれた。 福井神と綱長井神は,平安京大内裏内の神祇官西院(現在の大宮竹屋町辺)に祀られていた延喜式内社,宮中神の座摩巫祭神五座【生井神,福井神,綱長井神,波比伎神,阿須波神】のうちの二座である。 現在の地に遷された経緯については,社伝によると天正年間,豊臣秀吉の聚楽第造営,あるいは廃城の際と伝えられるが,天正二年(一五七四)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中洛外図屏風には,すでに現在地に福長神社が描かれている。 天明の大火(一七八八)で焼失した後は小さな祠となったが,明治時代以降も水の神(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。 


神社の外の道路には地蔵堂もありました。



<福長神社の基本情報>
拝観時間:自由拝観
拝観料 :無料
主祭神 :福井神・綱長井神・稲荷神
住所  :京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538


<参考情報>
この神社ですが、スマホアプリ『京都遺産めぐり』の上京探訪・戦国時代の東陣を歩くのスタンプポイントになっており、次のような説明文が有ります。


屋敷内の井戸や泉の神を祀る
福井神、綱長井神、稲荷神を祭神として祀る。天明の大化(1788)により焼失後、社殿は小さくなったが、明治時代以降も水の神として人々の信仰を集めている。