[光る君へ関連] 大宰府政庁跡 (福岡県太宰府市) | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。

福岡県太宰府市にある大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)。7世紀後半に、九州に設置された地方行政機関で、軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当しました。役職としての大宰帥は、外交・軍事上重要な地域に置かれ、数か国程度の広い地域を統治する地方行政長官でした。


紫式部の夫・藤原宣孝は990年(正暦元年)に筑前守に任ぜられて筑紫に赴任し、992年(正暦3年)頃には大宰少弐(大宰府の役人)も兼ねていますね。



大宰府へ都(平安京)から行った人で有名なのは「菅原道真」でしょうか。唐から学ぶことはないということで公的な交流(遣唐使)を廃止させた菅原道真。その後の大宰府は唐宋商船との私貿易の中心となったみたいです。当時の政変によって都から大宰府に追いやられ現在の大宰府天満宮辺りで亡くなったとされます。そして、都で雷などの天変地異があれば「菅原道真の祟り」と言われるようになったみたいです。

◇大宰府政庁跡の紹介サイト◇

 





<参考情報1>
源氏物語にも大宰府と関連する可能性がある人物が複数出てきますが、ちょっと「光る君へ」のネタバレも含まれますので注意ください。
※写真は大宰府資料館にあった展示。


◎大弐の乳母 (だいにのめのと)
第4帖・夕顔に出てくる光源氏を養育した乳母の一人。
重病のため出家し五条の家に住むのを光源氏が見舞いに訪れことが書かれていて、その後に夕顔の家を見つけますね。

◎筑紫の五節 (ちくしのごせち)
第11帖・花散里に出てくる人物で、かつての光源氏の恋人だった人。
大宰大弐の娘で、桐壺帝の時代にあった豊明節会で五節の舞姫をつとめています。

◎大宰少弐の妻
第4帖・夕顔&第22帖・玉鬘に登場。夕顔の遺児・玉鬘を伴って夫の赴任地である筑前国・肥前国へ下向。夫の死後は玉鬘を守って無事に都に戻ってきます。

◎大弐
第32帖・梅枝(うめがえ)に出てくる人物。大宰府にいた関係もあり、光源氏に舶来品(唐からの輸入品)である「香 (おこう)」などを献上したことが書かれています。や綾織物・羅(うすもの=薄く織った絹)を献上した。




<参考情報2>
大宰府というと、近年ではやっぱり「元号・令和の関連地」になります。
※令和に元号が変わる前後は長期の休みでしたので、九州北部(大分・福岡・佐賀)を巡りました。その時に「源氏物語」「光る君へ」と関連する場所なども複数巡りました。


菅原道真が遣唐使を廃止してから「国風文化」というのが隆盛になり、その一つが「元号・令和」に繋がる和歌などですね。そして、「古今和歌集」「蜻蛉日記」「枕草子」「源氏物語」などの貴族の女流文学が隆盛になっています。そのあたりも「光る君へ」では紹介されているのはありがたいです。