[紫式部関連] 花山天皇 (摂関政治に人生を狂わされた天皇) | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。

花山天皇は第65代天皇で、在位期間は984年9月24日から986年8月1日と短命な天皇でした。先代の天皇は円融天皇で、次代の天皇は一条天皇。大河ドラマ「光る君へ」でも描かれていますが、摂関政治の権力争いに巻き込まれて人生を狂わされたわけですが、摂政であった外祖父藤原伊尹の威光により生後10か月足らずで立太子しましたが、17歳で即位時には既に伊尹は亡くなっており、有力な外戚をもたなかったことは、2年足らずの在位という結果を招いたともいえます。 

 
でも「光る君へ」第4回の花山天皇と皇后・藤原忯子(藤原為光の娘)の新婚初夜を思わせるシーンは衝撃的でしたね。新妻の両手首を紐で縛ってしまう夫。それ以前に出てきた女房(使用人女性)が語る「天皇に即位する前、高御座に美しい女官を引き入れ、性行為に及んだという逸話」も盛り込まれていましたね。そんな異常な性癖の持ち主ですので、源倫子はまひろ(紫式部)に五節姫の代役を頼む際に「くれぐれも、天皇に気に入られない様に」といったんでしょうか?
※ただし、摂関政治の前には娘を五節姫に選んでもらい、天皇とのかんけいをもってもらうことで、その家系の地位をあげていた側面もあったとされます。



<花山天皇の家族>
生誕  :968年11月29日〈安和元年10月26日〉
死去  :1008年3月17日〈寛弘5年2月8日〉
父親  :冷泉天皇
母親  :摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。
異母兄 :三条天皇

 

<革新的な政治手腕>
「光る君へ」でも描かれていましたが、奇行や女好きなどのイメージがつきまとう花山天皇。しかし天皇として革新的な政治手腕を発揮した一面もあります。
◎饗宴(きょうえん)の禁制を布告して、貴族社会の統制・引き締めを図る。
◎違法な手続きにより設立された、荘園を停止する「荘園整理令」の布告。
あとは、ドラマであった市中経済の活性化などもありますかね?
ただ、このような政治手腕は一族の隆盛を願う関白・藤原頼忠や右大臣藤原兼家との対立を生んでいます。
※源氏物語の時代より前に貨幣(銅銭)の鋳造はやめられており、それが原因で市場では貨幣が使われなくなり物々交換や品物(衣服など)で貴族の館に働きに行った人の給料が払われていたあたりの記述が源氏物語第18帖・松風に書かれている様子です。


<西国三十三所中興の祖としての花山天皇>
関西圏を中心にしている霊場巡りの一つ、西国三十三所観音巡礼。閻魔大王に選ばれた、観音菩薩をまつる33の寺院を西国三十三所といい、2府5県(京都、大阪、和歌山、奈良、兵庫、滋賀、岐阜)に広がる日本最古の巡礼として知られています。718年(養老2年)に長谷寺の徳道上人が開いた霊場を中興したのが花山法皇。
西国三十三所観音巡礼には3つの番外霊場がありますが、いずれも花山法皇との関連が有ります。

◎東光山・花山院菩提寺
住所は兵庫県三田市尼寺352で、花山法王が晩年を過ごした お寺として有名。

https://www.kazanin.jp


◎豊山・法起院
住所は奈良県桜井市初瀬776で、長谷寺の近くにあります。

 


◎華頂山・元慶寺
住所は京都市山科区北花山河原町13で、花山天皇が落飾されたお寺になります。