[堺市堺区] 開口神社(あぐちじんしゃ) | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。

堺市堺区にある開口神社、我が家から徒歩圏内ですので良く散歩に訪れる場所です。

 
 
一枚目写真の鳥居の近くにある石灯籠に刻まれている『住吉奥宮』は住吉大社と関連が深いことを示し、『三村大神宮』は近隣3つの村の神社が合併してできた神社であることを示します。
 
 
そして3つの村の神様が開口神社の御祭神。やはり気になっているのは元・開口村の『塩土老翁神』です。考え方によると住吉神と同じですから。
 
 
3つの村の神様が一つになる前には「開口水門姫神社(あきぐちみなとひめじんじゃ)」と呼ばれていた開口神社。『住吉大社神代記』の中には、住吉大神の子神として「開速口姫神」あるいは「開口水門姫神社」が登場。両神は同一神であり「六月御解除 。開口水門姫神社。和泉監に在り」と書かれています。住吉大社の重要な「南祭」の聖地、現在は住吉祭(夏の禊)は開口神社から宿院頓宮に移っていますが、御旅所の移転でしょうね。
 
 
開口神社関連の有名歴史人には次の人々がいます。
◎千利休:氏子エリアの住人
◎武野紹鷗:千利休の師匠の一人で氏子エリアの住人
◎土佐光則:土佐派と呼ばれる源氏絵(源氏物語を主題とした絵画)の絵師で、安土桃山時代から江戸時代初期の人。
◎土佐光起:土佐光則の息子で堺で生まれ、父親に伴って京都に移り源氏絵を得意とした絵師。紫式部を紹介するときに使われる石山寺所有の「紫式部図」は土佐光起の作品。
 
 
あと重要な歴史人では与謝野晶子さんでしょうか?
彼女の実家は開口神社のお隣さんと言っていいほどの近場。そして、神社境内に創立された「堺女学校(現在の大阪府立泉陽高校)」は晶子さんの出身校。晶子さんは堺女学校の在学中くらいから和歌を熱心に勉強し、源氏物語などの知識も高めていったと思います。