[源氏物語あらすじ] 第14帖・澪標 (みおつくし)  | コンデジ片手に出かけよう

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第14帖・澪標 では、光源氏28歳10月から29歳冬のことが話題になっています。


※Top写真は、住吉大社表参道にある”俵屋宗達筆・澪標の図屏風”の複製陶板画。になります。第12帖・明石から第21帖・少女までの物語は、須磨での禊の後に明石に行きそこから運気が上昇していく様子が書かれていて、住吉大社が重要ポイントになっています。
※今後はTop写真を変更する可能性もあります。
※この項目は、関連事項などの記事をアップしたらリンクアップデートします。


「澪標」という巻名は、光源氏と明石の御方が交わした和歌「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには深しな」および「数ならで なにはのことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ」からきています。


源氏物語を現代語訳された与謝野晶子さんは、次のような和歌を載せています。
「みをつくし 逢はんと祈る みてぐらも われのみ神に たてつるらん」


<あらすじ>
罪を許された都に返り咲いた光源氏。そして亡き父・桐壺院の追善法華御八講が行われます。参内の日を迎え、兄朱雀帝と3年ぶりに再会します。 
朱雀帝は東宮が元服を迎えたのを期に、冷泉帝へ譲位。それに伴い、光源氏は内大臣に昇進します。
一方、明石の上は無事に姫君を出産。光源氏は姫君のために乳母と祝いの品を明石へ送ります。そんな夫・光源氏の姿を見て、子供がいない紫の上は嫉妬します。
 
秋になり、光源氏は守護神である住吉神社へ盛大に参詣。明石の上も、偶然に同じ日に住吉神社を訪問していましたが、光源氏のきらびやかな様子に圧倒され、難波の津で滞在し翌日に住吉神社を訪れます。

その頃に、六条御息所も娘の斎宮(後の秋好中宮)と共に都へ戻ってきましたが、しばらくして六条御息所は病に倒れ、死期を悟った御息所は源氏に娘の将来を託しこの世を去ります。
光源氏は斎宮(後の秋好中宮)を自らの養女に迎え、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。 
 

<第14帖・澪標の主な出来事>
◎故・桐壺院(光源氏の父)の追善法華御八講が行われる
<関連事項> 法華八講

◎東宮(後の冷泉帝)の御元服

◎宿曜の予言と明石の上に姫君が誕生し、光源氏が紫の上にそのことを語る

◎明石の姫君の五十日の祝
        
◎盛大に住吉神社を詣でる光源氏
<関連地> 住吉大社
<関連地> 佃・田蓑神社

◎翌日に住吉神社に詣でる明石の上

◎六条御息所上京

◎六条御息所は、娘を源氏に託し死去