[源氏物語あらすじ] 第25帖・蛍(ほたる) | コンデジ片手に出かけよう

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第25帖・蛍は光源氏36歳5月のことを書いています。

※Top写真は佐賀県唐津市にある鏡神社。『第22帖・玉鬘』から『第31帖・真木柱』までは、玉鬘十帖と呼ばれる源氏物語でも光源氏の一生と関連が薄い外伝的要素が強いのでTop写真を統一しています。
※この項目は、関連事項などの記事をアップしたらリンクアップデートします。


帖名の「蛍」は光源氏が六条院にやってきた兵部卿宮の前で几帳の内に蛍を放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せたことからきています。


源氏物語を現代語訳された与謝野晶子さんは、次のような和歌を載せています。
「身にしみて 物を思へと 夏の夜の 蛍ほのかに 青引きてとぶ」


<あらすじ>
母の死後4歳で乳母一家に伴われて筑紫(大宰府)へ下国した夕顔の遺児・玉鬘。太宰少弐(大宰府の役人)だった夫の死去後も乳母は都に帰れずにいました。20歳になった玉鬘は、その美貌ゆえ求婚者が多かったのですが、乳母は玉鬘の縁談を断り続けていました。そんな中で肥後の豪族大夫監からの強引な求婚に困り果てます。そして、乳母家族は玉鬘を巡って分裂します。しかし、乳母は長男(豊後介)のはからいで、船を使って京に逃げ帰ります。
京に帰った玉鬘ですが、母・夕顔を探す当てもありませんので、願掛けのために八幡宮(石清水八幡宮)に願掛けしたあと、長谷寺へ参詣の旅に出ます。
そんな時、椿市の宿で偶然に右近(元・夕顔の侍女で、今は源氏に仕える女房)と再会し、「光源氏が玉鬘を探している」と聞かされます。
源氏は玉鬘を自分の娘というふれこみで六条院に迎え、花散里を後見に夏の町の西の対に住まわせます。
その年の暮れ、源氏は女君らに贈る正月の晴れ着を選びますが、その様子を紫の上は複雑な気持ちで見ていました。 


<第25帖・蛍の主な出来事>
◎養父・光源氏からの愛情表現に悩む玉鬘

◎兵部卿宮が六条院に来訪し、光源氏が蛍を使った演出をする

◎端午の節句に光源氏が玉鬘を訪問し言いよる
<関連事項> 端午の節句
<関連事項> 薬玉

◎六条院馬場殿で行われた騎射
<関連事項> 流鏑馬
<関連事項> 打毬楽 (たぎゅうらく)
<関連事項> 落蹲 (らくそん)

◎花散里のもとに泊まる光源氏
<関連事項> 菖蒲

◎物語に熱中する六条院の女君たち    
<関連事項> 日本書紀
<関連事項> 住吉物語
<関連事項> くまのの物語
<関連事項> 宇津保物語

◎息子・夕霧ことを心配する光源氏

◎娘たちを心配する内大臣(頭中将)