[茶道関連] 武野紹鴎 | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。


千利休にわび茶を教えたとされる武野紹鴎(たけのじょうおう)。堺南庄の舳松町にその屋敷があったとされます。


屋敷跡の場所はあくまでも「伝承地(推測地)」の域を脱していません。そして現在は民間駐車場の一角に案内板と石柱などがあるだけです。

 




この屋敷跡には千利休が武野紹鴎に弟子入りした際の逸話が書かれています。



◇武野紹鴎の紹介サイト◇

 



<武野紹鴎の生涯> 写真は堺大仙公園にある銅像



武野紹鴎は堺の町衆で、通称は新五郎、そして大黒庵と号しました。堺では屋号を皮屋といい、おそらく武具甲冑などに関係する商家であったと思われます。



武野家は堺では最も富裕な家でしたが、紹鴎は若き日に京都にのぼり連歌に没頭しました。京都に「菊水の井」というのがありますが、そのあたりに武野紹鴎は住んでいたと思われます。



また、堺南宗寺塔頭で千利休が檀家だったとされる天慶院の方丈に付属して茶室「大黒庵」があります。これは、もと京都四条に武野紹鴎が営んだものを基とした三畳台目の茶室で、四畳半のうち一畳分を床とし前板を入れて仏壇を設け円窓を切ったという独創的な茶室になります。 (天慶院は拝観謝絶の寺院です)



武野紹鴎は1555年(弘治元年)10月29日に没し、享年五十四歳。南宗寺に供養塔があり、臨江寺に墓があります。



また、堺市史第七巻での記載には下記の様に記されています。