…GODIVAの
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「新訳聖書」でキリストの誕生を記述しているのはマタイとルカです
「東方三博士…アジア、アフリカ、ヨーロッパ」の訪問を受け、博士たちによって
ユダヤ人の王ヘロデに…ローマの軍事力を背景にもつ…救い主の誕生が伝えられるのです
マタイによる福音 第2章13-15節
「主の使いがヨセフの夢に現れて、『起きよ。幼な子とその母を連れてエジプトに逃げ、わたしが知らせるまで、そこに留まれ。ヘロデが幼な子を殺そうと捜すだろうから』と告げた。
ヨセフは起きて、夜のうちに幼な子とその母を連れて、エジプトに逃れ、ヘロデが死ぬまでそこに留まった。これは主が
わたしはわが子をエジプトから呼び出した…ホセア11章1節
と預言者を通じて言われたことが成就するためだった」 ティントレット
それぞれ個性もあります
ルカはパウロのようにローマの市民権を持ったユダヤ人に広がった福音書が基礎となり
マタイは旧来のユダヤ人に向けたそれが基本にあると思われます
ですからルカはローマへの宣教という意志が強く
ここで語られるのはエジプトへの逃避が旧約聖書の預言の成就だったことです
16-23節
「へロデはベツレヘムとその地方全体にいる2才以下の男の子を、ことごとく殺させた。
そこで預言者エレミヤを通じて言われたことが成就した。
ラマで声が聞こえた。
嘆きと大きな悲しみの声が
子らのために泣くラケルの声が
彼女は慰めを受けつけない
子らはもはやいないのだから …エレミア31章15節 ルーベンス
ヘロデが死ぬと、主の使いがエジプトエジプトにいるヨセフの夢に現れた。『起きて、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命を狙う人々が死んだからである』と告げた。
ヨセフは起きて、幼な子とその母を連れてイスラエルに着いた。
しかしアケラオが父ヘロデの後を継いでユダヤを治めていると、また夢でお告げを受けたので、難を避けてガリラヤに行き、そこのナザレという町に住んだ。これは
彼はナザレ人である。
という預言が成就するためである」 フランシスコ会訳
この最後は旧約のどの預言に相当するかまだ結論が出ていません
この部分はルカには記載がありません
アメフレ男の娘になりたい!めぐ さんから
↓の「(>_<)飲酒運転☄絶対ダメ」にコメントをいただきました
勝手に要約させていただきますと…原文はコメント欄をお読みください
「飲酒運転は絶対ダメと言える稀な例である。飲酒運転によるドライバーの利益が、それによって高まった事故発生の可能性を越えるとは考えられない」
そして法律家として、あえて裁判となりうる事例まで挙げてくださいました
「無医村の医師が非番で飲酒していたところ、一刻を争う患者の元に自動車を自ら運転して駆けつける必要が生じ、深夜で人通りがほとんどないケース」
それでもめぐ
さんの見解としてはダメということでした
わたしはほんの30年前…ほんのじゃないか
まだぼくが免許を持っていなかった頃のふるさと三次はかなりの田舎で…今もか
とある忘年会に行ったところ、みんな普通に飲んで騒いで
お開きになるとみんなあたりまえのように車を運転して帰って行った
…さすがに血の気が失せた
まさか今はそんな所は日本全国どこにもないと思いますが
ついでに車の免許を取ってからの話…
友だちんちのクリスマスパーティーへ車で行って
飲めなかったから余ったワインの瓶を土産に貰って帰ったら
コルク栓があまくて途中でこぼれてしまった
そんな時はきっちり検問にかかるもので、ウィンドウを下ろすや、やっぱり警官が
「ほら、おいでなすった」と言わんばかりの自信満々の顔で「飲んでますね」
例の風船を膨らませてテストさせられた
二次喫煙ならぬアルコールを嗅いだだけという二次飲酒というものがあるのかどうか分からず
少し不安だったけど反応は出なかった
そう言えぱぼくみたいに酒に弱い人の話で奈良漬けを食べただけで酔っ払う
…という話を人から聞いただけで顔が赤くなるという笑い話がありますね![]()
学生時代は「飲酒運転の犯罪性」という意識は、まったくありませんでした
ただ単にわたし自身が酒に弱いのと、多くで飲む場がどうにも性に合わなかっただけです
…2、3人で飲むのは好きでしたが
それが証拠に、それから数年後に
して、自分自身かなり酔っ払って運転したことがあります
まぎれもない事実です それは犯罪というものに本質的に潜んでいる「自己中心的なあり方」です
悲しいかな、こうしたあり方を自分の中からまだ追い出す途上なのです
ルカによる福音
第2章8節-20節
「さて羊飼いたちが、その地方で野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると主の使いがそばに立ち、主の光が覆い照らしたので、彼らはひどく恐れた。
み使いはは言った。『恐れることはない。わたしはすべての民におよぶ大きな喜びのおとずれをあなたがたに告げる。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたはうぶぎにくるまれて、飼葉桶に寝ている乳飲み子を見るだろう。これがしるしである』すると突然、み使いに天の大軍が加わり、
いと高き天には神に栄光、
地には心にかなう人に平安
と神を賛美した。み使いたちが天に去ったとき、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった出来事を見て来よう」と語り合った。
そして急いで、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。
それを見て、彼らはこのみどりごについて自分たちに告げられたことを、人々に知らせた。
それを聞いたものはみな不思議に思った。
しかしマリアはこれらのことをことごとく心に留めて、思いめぐらせていた。 ジョルジュ・ラ・トゥール
羊飼いは見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をあがめ賛美しながら帰って行った」 …フランシスコ会訳
数少ないイエスの前半生の記述で
マリアはいつも「これらのことをことごとく心に留めて、思いめぐらせていた」と書かれています
まさにマリアの存在を言い表した一文です
※ところできのう「飼馬桶」と記した語をラテン語で見直してみますと
「木の柵で囲まれた」と言う意味で、「桶」「小屋」のどちらとも読めるようです
現に「イエスは桶の中に寝かせられていた」と言う訳も
「家畜小屋に寝かせられていた」という訳もあります
ルカによる福音2章 1節-7節
「そのころ世界中の人々を戸籍に登録せよという勅令が、ローマ皇帝アウグストゥスによって発布された。これはクレオニがシリア提督だったときに行われた最初の登録だった。人はみな登録のために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
タビデ家の血筋に属していたヨセフも登録のために、すでに身ごもっていたいいなずけのマリアを伴って、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが2人がそこにいる間に、マリアはお産の日が満ちて、男の初子を産んだ。そして、その子をうぶぎにくるんで飼馬桶に寝かせた。宿屋には彼らのために場所がなかったからである」
フランシスコ会訳
イエスが辺境の地ガリラヤの人であったことは「新訳聖書」において重要です。
彼がダビデの血筋につながる者として、ヨセフの家に生まれ
しかもダビデにつながりの深いベツレヘムで
…ベツレヘムはパンの家(ベツは英語のベース)の意味だそうです
誕生したことは事実か否かを別としても
「新訳」のテーマにはやはり大切でしょう
さらに旅の途中で日が満ちてマリアが出産したことは
ヨゼフが身重のマリアと婚約したことを浮き彫りにし
イエスが飼馬桶に寝かされたことから
ふつう「馬小屋」で生まれたというイメージで
とらえられていますけど
貧しく生まれたことはイエスの本性と切り離せません ジョルジュ・ラ・トゥール
12/22(日) am.9:00~45 再放送 12/29(日) pm.8:00~45
奥田玄宗(奥田げんそう 1912~2003)
わが町「三次」出身の日本画家です
… ちなみにわたしと誕生日が一緒
歳はちゃいますよ
奥田玄宗・小由女美術館 は夫妻の名を冠した珍しい美術館です
“赤”に染めた心の風景 ~日本画家・奥田元宋~
出演= 千住博…日本画家 奥田小由女…人形作家 村上勇…奥田美術館館長
歴史に名を残す画家たちの作品が
残されている京都、銀閣寺
ここに、燃える様な真っ赤な山が鮮やかに描かれているふすま絵の大作がある
描いたのは日本画家、奥田元宋
四季が見せる美しい自然の風景を「心の目」でとらえ
生涯、独自の赤を追い求めた
時に穏やかで幻想的、時に力強く鮮烈な赤は「元宋の赤」と呼ばれている
転機が訪れたのは1974年 36年連れ添った妻、龍子さんが亡くなった
筆も持てないほどしょうすいしていた元宋であったが、やがて全国を写生してまわるようになる
そして次の年に描き上げたのが山梨県昇仙峡の紅葉を表した『秋嶽紅樹』
画面いっぱいに広がる真っ赤な山が、燃えるような炎に見える荒々しい絵
それまでの画風とはまったく違うものだった そこから、元宋の作品は赤が基調となっていく
元宋は赤にどのような思いを込めたのか
元宋の故郷、広島県三次市
にある「奥田元宋・小由女美術館」
を訪ね、傑作の数々を堪能
秘蔵のスケッチや関係者の貴重な証言を交えながら
画家・千住博さんと「元宋の赤」が生まれた秘密に迫る
天気予報が当たってしまった 来年2月の約束のことで昨夜メールでこんな返信を送った矢先だった
「返事が遅くなったのは雪を心配したからです。
わたしの住む三次は雪の多い地域で、松葉杖歩行のわたしには子どもの頃から雪が一番のかたき。
…といってもすべてに裏もあるわけで、雪が降れば他者も室内に留まるのでかえって寂しくない。
ともかく案じても仕方ありません。行くと決心すれば、どうとでもなります」
雪は高嶺の花である 見るぶんにはこれほど美しい女性はいない







