このあいだ、実母に電話した日があったのよね。

なぜ子どもたちが電話したがったのか。

それはね…。

 

かか(実母のこと)にいつもありがとう!って伝えたいから!!

 

うんうん、その気持ち、プライスレス。

お世話になっているもんね。

かかと遊ぶの大好きだもんね。

 

…うん。

でもさぁ、君たち、何か忘れてないかい?

 

実母にありがとうって伝えたくなった理由。

それはね。

サザエさんで、母の日特集していたから!

 

見たよね。

ドラえもんでもやってた。

ちょうど母の日だったもんねぇ。

 

…うん。

でもさぁ、君達。

ねえ、気付かない?

 

母の日の「母」って、君たちの隣にいる、そう、私のことよ??

 

ちょうど今週は誕生日もあって。

本来なら私が主役になる週なんだけどさ。

そんな特別感は何もなく、淡々と過ぎたわよ。

(それはそれでいい。お祝いを自分でやるの大変過ぎる。)

 

しかしまぁ、世の中に「母の日」という言葉が溢れていたのに。

我が子たちが連想したのは、私の母(=祖母)らしい。

何なら、父の日もあるとサザエさんに出てきて、「俺はお父さんに手紙書きたい」とか言ってたわ。

それはさすがにむかつくから、父の日は気付かせない方針でいくわ! ←まだ一ヶ月あるから忘れてくれる(笑)

 

で、考察してみようと思うの。

私に「母の日」というものがやってこない理由について

 

ま、1にも2にも、父親不在のせいなんだけどね。

子どもに「母への感謝」を教えるのは父親の仕事だと思っている。

これを怠ったことへの不満は、パートナーにいつかきちんと伝えるわ。

 

それはそれとして。

 

子どもたち(というか長男)は、「父の日」という言葉を聞いて、それはやりたいと思った模様。

私が「お父さんに大好きって伝えればいいんだよ」とアドバイスしたら、「大好きってほどじゃない」(真顔)って言ってたから、父への感謝があるわけではないらしい。

 

ここにあるのは、距離感だと思うの。

ありがとう、とか、感謝なんて気持ちは、「それをしなくてもいいのにやってくれる」という背景が必要なのよ。

だから、祖母には「お母さんじゃないのにお母さんくらい面倒を見てくれてありがとう」になる。

次男の、年長さんへの凄い憧れとか感謝とかも近い感じがする。

 

さて、翻ってみてみよう。

子ども達が私に「感謝」なるものを抱けるか。

 

答えは、否!!

 

だって、彼らは「お母さんが面倒を見てくれるのは当然」なんだもん。

生まれた瞬間から、全て私に身を委ねて生きてきた子どもたち。

ご飯を用意して、何ならお口に運んでくれるのも私。

怖いこと、嫌なことがあれば解消してくれるのも私。

まだ私と彼らは完全なる別個体として確立しているわけではないのよね。

 

つまり、彼らにとって、「お母さんに感謝する」というのは、「自分を褒める」くらいの話で、やる必要性を感じられないものなのだ。

そこに疑問すらないのが、我が子たち。

 

本来は、そこに父親が介入して、母への感謝を通じて母子の精神的分離を図るのが筋じゃないかしら。

あ、フロイト的な話になってきたw

 

ま、ワンオペ家庭の弊害よね…。

ひとまず考察は終了ということで。

 

・母の日が子どもにスルーされた場合は、母子の愛着が深い証拠と思いましょう。

・母の日が無事に開催された場合は、子どもの自立が進んでいると喜びましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母の日に贈ったのは、可愛いあじさい。

(もう楽天では見つからなかった。)

喜んでくれてよかったわ。

 

言葉にする、かたちにする。

感謝って、気持ちだけじゃ駄目なのよ、子どもたち!!

(私はモノが欲しい派ですw)

 

さて、今日は週末の講演の準備をしつつ、自動車税の支払いに行ってくるわよ~。

四月からお給料上がるかと思ったんだけど、全然上がってない…。

(昨年度は表彰の対象だったからね!)

なんで…。