思い出し笑いが止まらない! | モモナゲットの和風寄せ鍋エッセイ

モモナゲットの和風寄せ鍋エッセイ

当初は東洋医学を主体に各種健康情報を紹介していく予定でしたが、
いつの間にかエッセイや歴史情報なども織り交ぜて書いております。
当面「いいね」にも対応して柔軟に題材を絞っていきますのでどうか
よろしくご笑覧のほどお願い申し上げます。

過去には豚児という妙な語彙があった

少し惚けてきたのか、ときたまぼーっとしているときなどに寝ぼけたような変なことを考えているときがある。

身の回りのことや昔のことなどをぼんやりと思い出しているのだが、ときには人知れずいきなり思い出し笑いをしたりすることがある。

そういえばいまでは死語になってしまっているが、かってはおかしな表現があったのだ。

先日、そのことが気になっていた。

令和のいまどきでは、夫が他人に向かって「うちの愚妻が」などという謙遜した表現をする機会など滅多にないであろうが、たしかに昭和の時代辺りまではかすかに残っていたように思う。

個人的にはこれまで口にしたことも直接耳にしたことはなかったが、小説やドラマではときたま遭遇したように思うのだが、そうした中に「愚妻」という古くさい語彙があったのはたしかである。

これは愚かな妻というそのままの意味であるが、亭主の口から発せられたのを耳にした奥方といえば、内心「何でわたしが愚妻なのよ。自分こそぐうたら亭主の愚夫のくせに!」と憤懣やるかたないところであったろう。

本来、これは客に対して自分の妻を紹介する際に、これは愚かしい私の妻ですというすごく謙遜した意味であって、どうやら妻をあえて人前で貶しているわけではないらしい表現ではあるのだ。

ましてや悪妻の意味でもないのだ。

相手に品を贈るときの「これはつまらない物ですが」といった表現と同じであろう。

「今後とも、うちの愚息を宜しくお願いします」という言い方も同様である。

日頃グテグテしているからでもないだろうが、客を相手に「うちの豚児ですが、」と親にいきなりいわれたりすると、傍で聴いていた当の息子は「おれが何で豚児なのか!?」と怪訝に思うはずである。

ここでは「おれが豚児なら、親父はそれこそ豚父ではないか!」ともいえるわけである。

さらには当の息子からすれば、自分には豚父がいて、豚母がいて、豚児の俺がいるということになる。

豚父がいるなら、これまた豚爺や豚婆が居たとしても矛盾はあるまい。

(トンジイーにトンバアーとは尚更面白いではないか!)

可笑しな話である。

こうした場合にときたま息子は愚息だったり、ときには豚児だったりするのであるが、自分の娘に対してはこのような表現はなされないというのはどうしたことだろうか。

当然ながら「愚娘」とか「豚娘」とは云わないし、世間一般の親は娘のことはけっして傷つけるような表現で他人に紹介したりしないものである。

本来、未婚の娘はそれだけ家の中では大事にされているのだともいえる。

それこそ息子は痩せた体格であろうと必然的に「豚児」でありうるわけだし、一方の娘はいくら太っていようとも「豚娘」などとは表現されないものなのだ。

それも謙遜語が強いて使われているような場では、それぞれか位置しているところが微妙に違っていると云うことなのであろう。

いまの時代ではこうした表現や語彙ほとんど使われないわけだから、すでに死語になってしまっているということになる。


それはそうと、子沢山の友人というと、なかには5,6人の小さな子供を抱えている家もあるにはあるのだ。
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「子沢山というのは、大変だろう」というようなことをこちらかそれとなく口にすると、大抵否定される。

家の中にそれだけ兄弟が多いと、上の子が下の子をそれなりに世話をして育児を手助けしくれると云うのである。

それが自然に家庭内で出来上がってきて、子育てに思ったほど手は掛からないというのだ。

それを聞くと意外だと思うと同時に、それは確かにそうだろうと思わず感心してしまうところがある。

実際に、子沢山の子供部屋を覗いてみると木枠のある大きめのベットに兄弟姉妹が5,6人、てんでばらばらに雑魚寝をしている。

微笑ましい情景であるのだが、それぞれの頭も足も互い違いに交差していて、それこそイモの子を洗うようにごろごろと転がって無心に眠っているというのは、本当に微笑ましい情景である。

それだけで子供たちが皆いかにも逞しく見えてくるわけで、まさにここでは子供たちが自由闊達に逞しく育っているのだと見て取れるのだ。

とそこで思ったのであるが、このような子沢山の情景を目にすると「豚児」という表現はそう悪いものではないような気がしてくる。

それこそ、一人っ子であれば「豚児」という謙遜した表現は似合わないのだが、子沢山であればむしろ「豚児」さながらに逞しく成長しているという感慨が一方で湧いてくるから不思議である。

謙遜しつつも、その一方では世間の荒波には負けない逞しい子として育っていますという、さらに上を行く気概というものが、この「豚児」という表現には隠されているのだということなのかも知れない。





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