新しい人類の登場には「現人類の絶滅が望ましい」という学説にふれて

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icr.org

 

 

 

世代を越えていくmRNAの影響

私が曖昧に「人類は確実に滅亡に向かっているのだなあ」と悟ったのは、昨年の今頃のことだったでしょうか。

以下のようなタイトルの記事を書いたこともありました。

(記事)mRNA戦争は続く。その行く末は「緩慢な人類絶滅」
In Deep 2023年8月27日

あるいは、日本人に特化して考えれば、「日本人のほとんどが遺伝子的にプリオン病から守られない」という世界で唯一の体質(?)を持つということを知ったこともありました。

(記事)プリオンから守られない日本人としての最期の日々を生きながら、以前の厚生労働省の資料を思い出す:「何が起こるかわからないという懸念が実はある」
In Deep 2024年2月1日

なお、プリオン云々とは関係のないことですが、この記事では、今から 18年前の 2006年の厚生労働省の専門家機関による文書を抜粋していますが、以下のようにありました。

厚生労働省 日米EU医薬品規制調和国際会議の文書より

…導入遺伝子の染色体への組み込みは、一般に組み込み能があるとは考えられていないベクターでも低頻度とはいえ起こりうることである

…染色体への組み込みが起こると、正常な遺伝子構造を修飾したり遺伝子発現を妨害、誘発する遺伝子の再配列や挿入変異が起こる可能性がある

ICHに参加している規制当局は、現在の科学的、倫理的及び法的な議論に基づき、生殖細胞への直接の遺伝子組み込みを目的とする遺伝子治療の臨床試験は実施すべきではないということで合意している。

mhlw.go.jp

この 18年前などの時点では、

「導入遺伝子の染色体への組み込みが起こり得るような遺伝子治療は、実施すべきではない」

とされていたようです

ここに「実施すべきではない」とされているのは、どんなタイプの治療かというと、直近では、mRNA コロナワクチンや、アストラゼネカ社ワクチンのタイプ(DNAを送達する)などのことを指します(あるいは今後のすべての mRNA タイプのワクチン)。

こういったような医療的介入は「行うべきではない」という見解が以前は公式にあったものが、それから十数年後の日本では、

「それが公式に認められたどころか、過去最大規模の遺伝子の染色体への組み込みが起こり得るような治療(予防)が行われた」

ことになります。

このあたりに絶滅への「道」といったものを感じるのです。

「行ってはいけない」という強い主張が過去にはあったものが、その中で、医学の世界あるいは製薬の世界では、どんどん遺伝子治療、遺伝子予防という方法が第一義的な方法となっていき、気がつけば、

「当初の倫理思考など当局からも医学界からも吹き飛んでしまった」

と。

これからも同じでしょう。日本に次々と mRNA テクノロジーの工場が設置されているのを見ましても、日本は特に突き進みそうです。

しかし、先ほどの厚生労働省の 18年前の文書にある「このような治療法、予防法の危険性」は今も同じであり、むしろ、現状のように mRNA 予防がかつてより一般的になっている現状は「単に過去よりリスクが増加している」だけです。

 

日本人の遺伝子はほんのわずかな外来遺伝子のためにこの数千年で半分が置き換えられた

最初のほうにリンクしました「緩慢な人類絶滅」と入っている記事では、科学者の荒川 央さんの note 記事についてふれています。

これは、「お酒を飲める遺伝子と飲めない遺伝子」ということについての記事で、平たくいえば、かつては全員がお酒を飲める体質だった日本人が、外部(朝鮮半島)からの遺伝子の流入により数千年後には日本人の大部分の遺伝子が変化してしまった、というようなことです。

場合によっては、「たった一人の外部の遺伝子の流入」だけで、約半分の日本人の遺伝子は「未来永劫に変化してしまった」のです。

荒川さんはこれを例えとして書いているわけで、記事の最後は以下のように締められています。こちらで改行をしています。

荒川 央「縄文人と弥生人: 民族の遺伝子が変わるという事の意味」より

「全ては変化し続ける。」それがこの世界の理です。人間も生物も自然環境も社会も例外ではありません。人間の遺伝的多様性も長い時間を経て遺伝子が変化し続けた結果なのです。

動物、植物、細菌、ウイルスを超えた種の多様性も遺伝子の変化によるものです。変化する環境の中では自身も変化しない事には生き残れないからです。

低い率の遺伝子変異自体は生命の世界において自然なものです。しかし、人為的な過度の変異は進化の平衡にも干渉し得るでしょう。

DNAが混入したワクチンが本当の意味で人体にどんな影響をもたらすのか。

日本でのコロナワクチンの集団接種が始まり2年あまりです。数年を経て現れてくるような長期間の副作用は現時点では検証しようもありませんし、さらに言えば人間の寿命を超えて見えてくる集団への影響も未知なのです。

DNAが混入したmRNAワクチンの大量接種は決して行われてはいけない人体実験でした。これは事実として、日本、ひいては人類の存亡に関わる話ですらあるのです。

あるいは、人類が生き残っていたとしても、mRNAワクチンは遠い未来の子孫にまでも深刻な禍根を残す歴史上のスキャンダルとなるのではないでしょうか。

荒川さんは「人類が生き残っていたとしても…」という強い表現をなさっています。

そして、これは民族単位でいえば、接種の試行が多い民族であればあるほど、将来的に(民族が)生き残る可能性は低くなっていくと思われますが、荒川さんが書かれているような「人間の寿命を超えて見えてくる集団への影響」つまり、

「次の世代」

にどのような影響が出るのかはまったく予測できません。

 

 

DNAは永久に残る

脂質ナノ粒子の専門家であるクリスティー・ローラ・グレースさんが、過去の研究論文を紹介していて、

「マウスに注射されたプラスミド DNA は一生、体内で持続する」

とする文書を投稿していました。

こちらで一部翻訳しています。

ヒトとマウスでは異なる部分もあるとはいえ、同じようなことが接種された人間でも起きないとも限らないようには思います。

一生体内に残る。

あと、これは 20年ほど前の論文ですが、「骨髄は外部から投与されたプラスミド DNA を取り込む」というものを見たことがあります。以下で概要を翻訳しています。

(記事)「骨髄は外部から投与されたプラスミドDNAを取り込む」という論文
BDW 2024年7月4日

それがどうした、という話ではあるかもしれないのですが、私は、骨髄移植を受けた人の DNA が「すべて」提供者の DNA に置き換わるという事実を知って以来、「骨髄と遺伝子」ということについては興味を持っています。

以下の記事をご参照くださればと思います。

(記事)「本人」とは? : 骨髄移植の後、移植を受けた人の血液のDNAがドナーのDNAに完全に置換されることが判明。特に「精子」は100パーセントがドナーの遺伝子となっていた
In Deep 2019年12月24日

調査された方は男性で、そして、骨髄移植手術から「 4年後」に、「すべての精子の DNA が提供者の DNA に変わっていた」ことがわかったのでした。

つまり、仮に、それから彼から子どもが生まれたとしても、生まれてくる子どもは、

「本人の子どもではない」

のです。知らない人の DNA を持つ子どもが生まれてきます。

こういうことを知って以来、「本人とは?」とか「遺伝子とは?」などのことをよく考えます。

もちろん、これらのことと、mRNA ワクチンの混入 DNA のことを並べて話そうとしているわけではなく、「ひとつひとつがひっかかる」という話でしかないです。

いずれにしても、仮に、何か新しい強化された遺伝子を持つ次世代が生まれてくるようなことになれば、

「現世人類の絶滅と新しい人類の誕生が同時に起こる」

ということなのかもしれません。

 

 

ポストヒューマン

ここまでタイトルと関係ない話が続きましたが、ここからがタイトルと関係する部分です。

最近「遺伝子改変」と「人類絶滅」という両方のキーワードで、論文を検索していましたら、興味深いものが見つかったのですね。

以下のようなタイトルの 2022年の論文です。

遺伝子強化、人類絶滅、そしてポストヒューマニティの最大の利益
Genetic enhancement, human extinction, and the best interests of posthumanity

 

どういうことを言いたいのだかわからない部分もあるのですが、論文の概要に、

 

「人類の絶滅はポストヒューマンの最善の利益の 1つとして考えられる可能性があると提案する」

 

などとあるものです。

ポストヒューマンというのは、仮説上の「進化した未来の人類」で、Wikipedia に以下のようにあるものです。

> 「その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて、現代の感覚ではもはや人間とは呼べない」ものとされる。

 

こういうような、ポストヒューマン、というなものも含めた響きは、どこか陰謀論的な話や、あるいは、先日、代表者がセクハラで告発された世界経済フォーラムなども思い浮かぶ場合もあるかもしれないですが、私が今回ここまで書いてきたことが「人類絶滅とポストヒューマンの登場」につながるのならば、

「陰謀も首謀もなく、それぞれ個別の人類自らがその道を開いた」

ことになります。

日本でいえば、1億人が「未来永劫に続く遺伝子の改変に同意した」ことになります。

ここが絶望的なところなのかもしれません。

もはや陰謀も何もなくとも、遺伝子医療テクノロジーが存在する限り、人類は自ら滅亡に進む。

それにしても、セクハラで告発されたクラウス・シュワブ氏と世界経済フォーラムについては、日本語の報道だけでもウォール・ストリート・ジャーナルやダイヤモンドや Yahoo! ニュースなどにより一斉に報じられていまして、ハラスメント自体はずっと以前からあったはずなのに、今となってこのような問題が噴出しているというあたり、いろいろと弱くなっているのかなとも感じないでもないです。

締めとして、先ほどの論文の「セクション1」から抜粋してご紹介します。興味深いことには興味深いです。

太字はこちらで施しています。

 

 


論文「遺伝子強化、人類絶滅、そしてポストヒューマニティの最大の利益」より

Genetic enhancement, human extinction, and the best interests of posthumanity
wiley.com 2022/09/22

人類絶滅研究は、ここ数十年で急増している。これは、人類がさまざまな存在的リスクに脅かされているためであり、その多くは私たち自身の行動によって生じている。

人為的絶滅シナリオには、気候変動、生態系の崩壊、地球規模の核戦争、パンデミック(意図しないものや意図的な生物工学によるものを含む)、超人工知能または自己複製ナノボットなどがある。

また、小惑星の衝突、大規模な超火山の噴火、宇宙の脅威(ガンマ線バースト、太陽フレア、真空崩壊など)、そして、もしあるとすれば地球外からの侵略など、非人為的シナリオもある。

これらの存在的リスクは、ホモ・サピエンスがいつ絶滅するのか、そして系統学的に関連する子孫を残すかどうかという未解決の問題を提起している。

本稿では、生命倫理の議論にとって特に興味深い、もう一つの人類絶滅シナリオについて取り上げる。

人間の強化は、人類絶滅を促進する可能性がある逆説的に、バイオテクノロジーを通じて人間の能力を向上させようとする動きは、異なる種への移行を加速させ、したがって不可解な実存的リスクを引き起こす可能性がある。

特に、遺伝子強化技術が、ホモ・サピエンスの後継種につながる可能性のある累積的な変化を生み出す可能性があることを示す。このシナリオには、上記の実存的リスクとは異なる特殊性がある。

最も重要なのは、(遺伝子)強化技術を通じて人類絶滅が積極的に追求され、実現される可能性があるという事実だ

トランスヒューマニストと強化推進派の著者の議論を参考にして、「ポストヒューマニティの最善の利益の原則(PBIP)」を提示する。これは、人間の強化は、大幅に価値の高いポストヒューマンの存在への進化に向けられなければならないというものだ。

この原則は、人類絶滅の望ましさと組み合わせることができると私は主張する。しかし、PBIP はいくつかの関連する懸念も引き起こしており、すべてを考慮すると、その倫理的魅力を損なう可能性があることも示す。

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