多くの人は必死に現在を生きる。
そう思うだろうか?
違うのだ。絶対に「現在に」生きてはいない。
なぜなら、未来に向かって
生きているから、現在に身体はあるが心は現在にない。
また過去への記憶や後悔でいっぱいである。
現在に生きていると言えるだろうか?

ただ未来に、自分の目標に向かって
生きたい人はそのまま生きればいいのだ。
(いちよう自由ということになっている。)


しかし疲れきった人は少し考えて欲しい。
なぜ疲れたか?
未来に生きるからだ。
目標のために生きるからだ。
夢のために生きるからだ。
それがどれほど輝かしいモノに見えても
手にしてみれば大したことがないかもしれない。
あんなに欲しかったアクセサリー・服・恋人が
数日で飽きるように・・

欲しいというのは現在思うことだが、
将来にそれを手にした瞬間にどう思うかはわからない。
そんな不確かなものを手に入れるために日夜頑張っている。
それが悪いことではないと思うし、しかし良いことだとも思わない。
特にあなたが辛いと感じるなら、それは間違っているかもしれない。


じゃあどうしたらいいか?
手放せばいい。
捨てればいい。
爽快なものだ。捨てない人には一生わからない。
ずっと握っていては疲れるのだ。
「囚われると悪になる」(愛読書より)

どんないいものでもそれに囚われると良くない。
手を握りしめていると筋肉が疲れると思うが、
心で何かを握りしめるのは、辛いのだ。
手で何かを握りしめるよりも苦しいのだ。
ただ、この考えにすら囚われると辛いのだ。
菜食・小食ですらそうだ。
どんないいものでも囚われるとよくない。

今、最も自分が苦しんでいるモノを
諦めると、手放すと楽になる。
執着心は必ず苦しみを生む。

手に入るものなど大したことはない。
物理的に手に入るものははかない。
そして手にしたものは必ず失うのである。
どんな強いボクシングのチャンピオンも
最後は皆負けて辞めていくのだ。
それと同じだ。

だから無理をするな。
適度な無理ならいいと思う。
目指すならば、あまり欲をださず
徐々に、ゆっくりと、無理せず
目指すのが最上だ。
無理は必ず反動となるから。
そして無理すると手にするのも遅いのだ。

また手放してもそれが本当に欲しいものなら
また一からでも求めるだろう。
本当に必要であったかどうかは、
手放して初めてわかるのだ。

私は本を頻繁に捨てるが、
捨てて困ったことは無い。
しかし、捨てた本でまた買った本はある。
だが、後悔はない。
その時は必要ではなかったから捨てたのだし、
買ったときは必要だから買ったのだ。
お金が少し減っただけである。
良い経済効果ではないか。
(紙はもったいないと思うが)

自分の非物理的なモノであれ、物質的なモノであれ
持つことは疲れるのだ。
捨てればいい。
手放せばいい。
持っていてもそれに執着してなければいいだろう。
しかし、執着してないのに持っているということは
本当だろうか?
持っている時点で、執着していることの表れではないだろうか?
特に物質的なモノに関しては。
しかし、それが苦しみをもたらさないものなら
問題ないだろう。
それは自分がよくわかるはずだ。


捨てれば楽になる。
そして何かが舞い込んでくる可能性がある。

やってみて体験してみることをお勧めする。

「人間は、なんと知ることの早く、行うことの遅い生き物だろう。」
(ゲーテ)